シンガポール通信ーJ・G・バラード「沈んだ世界」:バラードは未来を予測した作家か?

シンガポールの最も暑い時期は5月〜7月なので、そろそろ最も暑い時期は過ぎようとしている。とはいいながら昼間の気温は35度は超えている。もっとも日本の今年の夏は異常な暑さで、38度とか39度の気温が続出しているとのことなので、日本の方が暑いという事になるが。いずれにしても週末の昼は外に出る気はしないので、この週末久しぶりに昔読んだSFであるJ・G・バラードの「沈んだ世界」を再読してみた。

バラード(1930 - 2009)は英国の小説家、SF作家である。気温の上昇等により地球の生態系が破滅的な影響を受け大きく変化すると共に、人間にとっての生存の場としての地球環境が破滅して行く過程を描いたSF作品で有名である。

特に1960年代に発表された「沈んだ世界」「燃える世界」「結晶世界」は、「破滅三部作」と呼ばれて彼の作風を代表する作品群であるとされている。私自身も大学生の時代にこれらの三部作を読んで、その救い様のないとも言える暗さに強い印象を受けたものである。

それまでのSFは、地球外宇宙をストーリーの背景として取り扱うことがほぼ法則化していた。そして人類がテクノロジーによって、その地球外世界に進出して行く様やそこで出会う異星人等を描く事が、SFの定番とも言えるストーリーであったわけである。

それに対してバラードは「人間が探求しなければならないのは外宇宙ではなく内宇宙である」と主張して、それまでのSFがストーリーの展開に重点をおき人間の内面の描写には力を入れていなかったのに対し、人間の内面を描く事に力を入れたSFを発表し始めた。このような動きはSFにおけるニュー・ウエーブと称され、一世を風靡したものである。そしてバラードは、そのニュー・ウエーブの旗手としてもてはやされた。

上に述べたように、私自身も大学生の時代にバラードの作品を読んだ時に、その暗い世界観の描写に極めて強い印象を受けたものである。それ以前のSFは、テクノロジーによって人間が地球のみならず宇宙も征服できるという楽天的な見方に支えられており、ストーリー展開も結局は技術礼賛型のものであった。それに対してバラードの描く世界が、人類がゆっくりと滅亡に向かって進む世界であることが、強い印象を与えたのであろう。

しかし1960年代に読んだ時には極めて違和感を感じたバラードのこのSF小説も、現在読んでみるとごく普通のSFとして鑑賞できる。そのことはバラードが言い始めた「SFは人間の内宇宙を描くべきである」という主張がその後のSFの流れの中でごくあたりまえになって来た事を示している。

1980年代にはネットワークの中の世界をSFの舞台とするウィリアム・ギブソンなどによる新しいSFが「サイバーパンク」と呼ばれて出現し、これも一時は一世を風靡した。これも外宇宙をSFの舞台とするのではなく、人間がネットに接続されることによって生まれるネットワーク世界を舞台にしたものだとすると、結局はバラードによって主張し始められた内宇宙を舞台とする新しいSFの流れの上にあるものだと考える事が出来る。

たしかにバラードはSFのあり方に革命を起こした作家だという事が出来る。また彼が描く、地球の気候が激変しそれによって地球の生態系が大きく変わってしまった未来の地球は、ある意味で環境汚染によって気候が変動しつつある現在の地球において生じつつある事ではないだろうか。

その意味では彼は未来を予測したSF作家なのである。興味深い事に未来学者マーシャル・マクルーハンは、ほぼ同時期にグローバル・ビジレッジ(地球村)という名称で、人々がネットワークによって常につながれている未来の社会を予測した。そしてそれは現在まさに現実となっている。

マクルーハンが未来を予言した学者だとすると、バラードも未来を予言したSF作家だと言える事ができるのではないだろうか。しかしながら、バラードの名前は現在あまり聞く事はない。大型の書店には彼のSF小説の訳本が何冊かは並んでいるので、バラードを忘れ去られたSF作家と呼ぶのは不適切かもしれないが、ともかくもSFの世界でも彼の名前を聞く事は少ないのではあるまいか。

その理由としてはやはり、バラードのSFに描かれている救いようのない暗さを秘めた終末感に対して、人々がなじめないことが大きな理由ではあるまいか。