シンガポール通信—安倍首相のシンガポールにおける講演はシンガポール市民にどう映った-

昨日(7月26日)安倍首相が東南アジアのマレーシア、シンガポール、フィリピンの3ヶ国訪問の一環として、半日という短時間であるがシンガポールを訪問し、シンガポールの一般市民向けに講演会を行うというので、野次馬気分で参加して来た。

株価は昨年暮れの8千円あたりから大きく上昇し、変動幅は大きいものの1万4千円程度を維持している。為替レートも1ドル100円前後と円安基調にある。そして何よりも、参議院選挙で自民党が大勝した直後である。いわば今は、安倍政権がもっとも旬な時期に当たっていると言えるであろう。

そのような時期に他国に先駆けて安倍首相が東南アジア3ヶ国を訪問するという事は、東南アジアと日本との関係を重視するという安倍政権のメッセージであろう。したがって安倍首相が訪問するこれら3ヶ国でも歓迎ムードであろう事は容易に推測できる。

シンガポールにおいても安倍首相のテレビへの露出度は民主党政権時代に比較すると飛び抜けて大きいし、民主党から出た3人の首相が十分名前も覚えてもらっていないまま交代したのに比較すると、Mr. Abeという名前はシンガポールの市民の間でもよく知られたものとなっていると思われる。

安倍首相の講演会はシンガポールのリッツカールトンホテルの大宴会場を使って行われた。グローバルなレベルでも時の人とも言える安倍首相に対する現地の関心は高く、2千人は入ろうかという会場は30分前にはほぼ満員で、講演が始まる頃には多数の立ち見が出るという盛況であった。しかも多数の日本人もいたとはいえ、聴衆の2/3以上は現地のシンガポール人であった。安倍首相に対するシンガポールの市民レベルでの関心の高さを示していたと言える。

さて肝心の講演の内容であるが、三本の矢で象徴される施策であるアベノミクスにより、これまで停滞状態にあった日本経済を再活性化させ株価を上昇気流に乗せた事、企業の経営状況が改善された事、その結果として雇用機会を増やした事、さらにはそれらが評価され参議院選挙に大勝し、衆参両議会におけるねじれ現象を解消したなどのこれまでの自分のとって来た政策の自己評価が講演の半分近くを占めていた。

これはこれで現時点では事実であり、誰も文句の付けられない所であろう。したがってここも含めて安倍首相の演説は全体として力強く自信に満ちていた。それはそれでいい事であり、それを聞いている日本人としての私も誇りに感じた所である。しかしながらこれはあくまで日本国内だけを見た内向けの議論である。せっかくこのような成果が出たのであれば、それが世界の政治経済から見てどのような意味を持ち、そして今後はどのような方向に日本の政治経済を引っ張って行くかという安倍首相の見識が聞きたかったというのが私の感想である。

その後安倍首相の講演内容は、日本と東南アジアの関係、そしてそれに対応するための日本の外交政策に移って行った。ここで安倍首相は、日本とアジア特に東南アジアとの過去における親密な関係を強調するとともに、今後も協力しつつアジア全体の発展を目指す事を述べた。これも基本的な政策としてはその通りであるし、東南アジアの国々も歓迎する所であろう。問題はこの外交政策が抽象論に終始した事ではある。
これまで日本は東南アジアの国々に対し多額の政府開発援助(ODA)を行って来た。

そしてその援助を受けている国々では日本に対する好感度も高く今後も緊密な関係を維持したいと感じているといわれている。そのような実績がベースにあるならば、安倍首相は抽象論に終始するのではなくもっと具体的な今後の東南アジア諸国と日本との関係強化の策を述べるべきではなかったか。

シンガポールの国民は(これは東南アジアの他の国々でも同様と思われるが)政府関係者が抽象論を述べるより具体的な施策を述べる事を好む。シンガポールの首相の政策演説を聞いていると極めて具体的な政策を述べている事に気付く。せっかく安倍首相に対する関心と好感度がシンガポールおいても高いこの時期にこそ、一つでも二つでもいいからシンガポールと日本との関係に対する具体的な政策を安倍首相が講演の場で披露したら、大きな関心を持って受け止めてもらえ大きな拍手が出たのではないだろうか。

安倍首相の東南アジアの外交政策に対する講演内容が抽象論に終始した大きな原因が、日本と中国の外交関係にある事は間違いない。東南アジア諸国との外交関係について述べようとすると中国と日本との微妙な関係にある外交関係について触れざるを得ないからである。この点に関して安倍首相は慎重であり、中国と日本とがこれまで文化的にも経済的にも密接な関係にある事、そして現在の幾つかの問題にも関わらずこのような関係を今後も続けて行く事が重要である事を述べるにとどまった。

中国と日本との関係が微妙な時期にはこのような内容の講演になるのは無理もないという感じもするのであるが、シンガポール市民が(そして当然の事ながら東南アジアの人々も)もっとも知りたいのは、日本が対中国外交をどのように進めようとしているかという正にその点にあるのではあるまいか。

したがってこの点に関する安倍首相の講演内容はシンガポール市民にとって満足のいくものではなかったようである。講演終了後の質疑応答で再度、中国と日本との外交政策に関する具体策に関する質問が出た。(しかもそれはシンガポールの高校生からである。)残念ながらここでも安倍首相の回答は力強くはあるが内容的には講演の繰り返しであった。

総じて言うと、安倍首相の講演は力強く自信に満ちたものであったが、内容的には抽象論が多く具体策に欠けるものであったといえる。この点に関し講演終了後何人かの知り合いのシンガポール人に聞いてみたが、同様の意見であって不満が残るというものであった。再度言うが、日本が経済再生により注目を浴びており、そしてそれを牽引している安倍首相の講演に期待している人達が多かっただけに残念ではある。