シンガポール通信ーグーグルグラスは果たして普及するか?

スマートホンが普及するに伴い、スマートホンで提供されるサービスに人々が慣れてくると共に、その反面としてスマートホンで提供されるサービスの限界に人々が気づき始めているのではということを前回述べた。このことはそろそろスマートホンの先にあるサービスもしくはデバイスを考えるべき時期に来ている事を示している。

スマートホンの先をめざして行われている研究は数多くあるだろうが(というよりメディアに関する研究のほとんどはそれをめざしている、いやめざすべきだと私は思うが)、その中で最近話題になっているグーグルが開発中のグーグルグラスをとりあげ、それが果たして次世代のスマートホンになりうるかを考えてみよう。

グーグルグラスは一見すると眼鏡にみえる。そこがグラスと呼ばれる所以であるが、実際には眼鏡ではない。簡単に言えばスマートホンを眼鏡型にしたものだということができるだろう。スマートホンのコンピュータの部分を眼鏡の柄の中に埋め込み、スマートホンのディスプレイの部分が眼鏡のレンズの部分に小さなディスプレイとして設置されている。

機能としては、スマートホンの持つ機能はすべて実現可能であり、検索、写真・ビデオ撮影、メールメッセージの作成・送信、閲覧などが考えられている。問題はそれらの機能をどう操作するかであるが、現時点では音声に入力によって操作する事が検討されている。たとえば写真を撮りたいときは「OK, glass, take a picture」等と入力する「OK, glass」と最初にいうのは、普通のおしゃべりとグーグルグラスに対する命令を区別するためのコマンドとして使うためである。グーグルグラスは「OK, glass」という入力を認識すると、それがグーグルグラスに対するコマンドであると解釈し、その次に入力される言葉たとえば「take a picture」を認識し、それに対するサービスを実行する。

グーグルグラスは、来年には一般ユーザ向けに発売されるだろうという事で大きな話題になっている。しかし実はその基本コンセプトは、装着式のディスプレイ(ヘッドマウントディスプレイ:HMD)として古くからあるものである。HMDには外界の映像を遮断してユーザにはHMD上のディスプレイの像のみを見せるタイプのもの(没入型もしくは非透過型)と、外界の像が見える状況でディスプレイの像をそれに重ねるもの(透過型)がある。グーグルグラスは後者の透過型HMDに属する。

HMDの最初のものは、アイバン・サザランドによって1968年によって提案されている。その意味では、すでに50年近い歴史がある事になる。しかしながら長い間研究の分野でのみ使用されてきており、民生品の歴史は浅くようやく1990年代に各社から発売されるようになった。日本ではソニーオリンパス等から発売されたが、当時のハードウェア技術のレベルのため解像度等の性能が低い事等があって普及には至らなかった。

特にソニーが熱心で、グラストロン等の名称でいくつかの製品を1990年代後半に発売していたので、おぼえておられる方も多いだろう。これは没入型のHMDであり、外出先でも家庭の大画面でテレビを楽しむのと同じ感覚が味わえるという宣伝文句で発売していた。時々電車の中等でグラストロンを装着している若者を見た事があるが、未来的というより少々不気味に見えたものである。そのためもあってか、そのうち見かける事は無くなった事を覚えている。

それがようやくハードウェアの進歩により、コンピュータを眼鏡の柄の部分に埋め込む事が可能になったり、小型軽量で解像度の高いディスプレイが製造されるようになったため、グーグルグラスのような製品が出てくることになったのである。
とはいいながら、すでにコンセプトとしては古くからあるものが製品化されることになるからといって、なぜ大きな話題になるのだろう。それはやはり、スマートホンのOSの一方の雄であるアンドロイドOSを提供しているグーグルが開発しているという理由が大きいであろう。

上にも述べたように、スマートホンの先にあるデバイスを人々がそろそろ渇望し始めている時に合わせて、スマートホンの一方の雄であるグーグルがグーグルグラスを開発しているというニュースが出て来たわけである。このことは、グーグルがグーグルグラスをスマートホンの後継機種として考えているという期待を人々に持たせたのではないだろうか。

さてそれではグーグルグラスは本当に普及するだろうか。これだけ話題になるのは、普及するのではと考えている人が多い事を示している。米国では普及したときの事を考え、プライバシーの侵害になる恐れがある等の理由で、グーグルグラス装着客おことわりという張り紙をするレストランが現れた等というニュースを聞く。何とも米国らしい先走った行動であるが、私はグーグルグラスは普及しないだろうと考えている。

(続く)