シンガポール通信ーニコラス・ウェイド「5万年前」を読む:人々はなぜつながる事を望むのか5

何度も言うようであるが、現在全世界に住んでいる人類すべてが、アフリカを脱出しようと何度も試みたグループのうち約5万年前にアフリカ脱出に一度だけ成功した150人程度のグループの子孫であるというのは、私たちに不思議な感覚を与えないだろうか。これは、何度もギャンブルを試みたグループのうち、希有な賭けに勝ったグループの子孫に私たちが属しているという事実が私たちに不思議な感覚を与えるからであろう。

しかしこれは、考えてみれば納得のいくことである。つまり、賭けに負けたグループの子孫は現在は死に絶えており、賭けに勝ったグループの子孫だけが現在生き残っているわけである。そして現在地球上に生存している私たち人類は、生き残れたグループに属しているからこそ現在存在しているというわけである。論理的にはその通りなのだが、私たちはそのような過程を賭けが終わった結果論から見ずに、ギャンブルをしようとしているギャンブラーの心境から見てしまうから不思議に感じるのであろう。

しかしとはいえ、不思議な事がもうひとつある。それは特定のグループがアフリカを脱出できたのはいいとして、そのグループの子孫が全世界にまで広がって行けたのはなぜかという事である。脱出そのものがそんなに大変な事ならば、その後その子孫グループが各地に移住していく過程で、いずれかのグループはどこかで停滞してしまったり、またはどこかで滅亡してしまう事が当然考えられる。ところが、アフリカ脱出に成功したこのグループは、その後どこかで足止めを食らう事なく全世界に広がったのである。

アフリカ脱出に成功した私たちの祖先は、グループが大きくなると分裂して、残留するグループとその先に進むグループに分かれるという方法で、次々と新しい土地に移住して行った。彼等がまず向かったのはインドである。そしてインドに到達すると、その後グループは大きく二つに分かれた。一つのグループの種族はその後西を目指して進み、ヨーロッパに到達する。そしてそこに住んでいた先住民であるネアンデルタール人を駆逐し、もしくは一部はネアンデルタール人と同化することによりヨーロッパの住人となった。そしてその子孫が、現在のヨーロッパに住んでいる人達である。

もう一つのグループの種族はその後東に向かい、東南アジアに到達する。そこで再び二つに分かれ、一つの種族は東南アジアの島嶼を経てオーストラリアに到達する。もう一つの種族は北へ向かい、中国・日本に至る。ところが驚くべき事にその子孫はそこでとどまる事なく、さらに北に向かいベーリング海峡を越えてアラスカに達する。しかもそこからさらに南下し、アメリカ、中米を経て南米に至り、最終的には南米の南端にまで達するのである。

アフリカを出発し、インド・中国・北アメリカを経て南アメリカの南端にまで達するというこのような遠大な旅を、なぜ現在の人類の祖先は失敗せずにやり通す事が出来たのであろう。特に、ベーリング海峡をどう乗り越えたのだろう。当時は寒冷期で現在より海面は数十メートル低く、ベーリング海峡は陸続きであった可能性が大きい。とは言いながら、途中には陸が数十キロの海で隔てられていた場所もあったであろう。

特に東南アジアから分かれてオーストラリアに渡ったグループは、途中で少なくとも数十キロの海路を渡る必要があったと考えられる。当時の私たちの祖先は、既に船を造る技術を持っていたらしいが、それにしてもまだ何が待っているかわからない数十キロの彼方の陸を目指す航海に出るというのは、何が彼等を突き動かしたのであろう。

その理由としてはやはり、種の保存さらには発展を欲するという強烈な本能的欲求がヒトの遺伝情報に書き込まれており、それに従って私たちの祖先が行動したと考えるのが自然であろう。まだ見ぬものへの強烈な興味と言う面もあったであろうが、それ以上に種の保存と発展の本能に突き動かされたとでも言わないと、このような遠大かつ困難な旅に私たちの祖先を駆り立てた理由がつけられないのではないだろうか。

そしてこのことは、最初に提示した疑問である、現在の私たちがなぜメール・Facebookなどを使っていつでもどこでもさらには誰とでもつながっている事を欲するかという疑問に対しても、適切な答えを与えてくれる。ここまで述べて来たように、遺伝情報の分析をベースとすると現在世界中に住んでいる人類は、約5万年前にアフリカを出発したたかだか約150人のグループの直接の子孫であることになる。つまり世界中に住んでいる人達は、かっては一つのグループに属する仲間なのである。しかももっとさかのぼると、一人のアダムか一人のイブにまで辿り着く。つまり仲間という以上に親戚なのである。

そうであれば、私たちは5万年前頃にアフリカを離れてその後世界中に散らばり、その後大きな距離を隔てて暮らしているためお互いに音信不通となった仲間達の子孫であって、5万年の時を経てメディア技術によってふたたびコミュニケーションする事が可能になったというわけである。そうであれば、懐かしい仲間とメディア技術を使ってかってのつながりを確認するというのはごく普通の行動ではあるまいか。

つまり私たちが、メール・FacebookTwitterなどを使ってやり取りをしているメッセージのもっと深い部分に「やあ兄弟、5万年ぶりだね、やっと連絡が取れるようになったね、元気にやっているかい、これからもいろいろと連絡を取り合おうよ」という根源的なメッセージがあるのではないだろうか。このような説明をしないと、現在の人々がなぜこのように常につながっている事を望むのかを説明する理由が見つからないのではないだろうか。