シンガポール通信ーskypeの普及はテレビ電話が普及する事を意味しているのか?(2)

もしskypeに代表されるビデオ通話が人々の日常の会話に使われるという形で普及して行くなら、それはついにビデオ通話(テレビ電話)が普及するという事を意味している。

ビデオ通話というコンセプトが形作られその初期の形態がNTTなどの通信キャリアの研究所で開発されたのはすでに40年以上以前である。それ以降種々の技術革新を経て携帯電話上でのビデオ通話がサービスが可能になっているにもかかわらず、実際にはほとんど使われていないといわれている。Skypeが普及するという事は、ついにビデオ通話が普及する事を意味しているのである。そしてそれは、音声のみを使った電話というコミュニケーションメディアに対して、音声と画像を用いたビデオ通話コミュニケーションという新しいメディアが普及する事を意味している。

その可能性は十分にあると言えるだろう。しかしそれが普及するにはまだまだ多くの問題がある。その一つは上に述べたように、まだまだインターネットビデオ通話が使われるのがビジネス場面に限定されている事が多い事である。私自身はビジネス場面で相手の顔を見ながら通話する事はあまり抵抗を覚えないが、日常会話で相手の顔を見ながら通話する事は何か気恥ずかしさとでもいったらいいか抵抗を感じるのである。それはこれまで長い時間をかけて電話というメディアに慣れて来た私達に、skypeなどのビデオ通話はディスプレイ上の相手の顔を見ながら会話をするという新しいコミュニケーションの方式を強要するからではあるまいか。

それは、いいかえるとこれまで電話という音声のみを用いたコミュニケーションに私達があまりにも慣れすぎている事を意味している。そしてそのために、ビデオ通話が普及するためには、電話に画像が加わるという新しいコミュニケーションに対して私達が何か新しいメリットを見いだし、そしてそれが音声だけのコミュニケーションに対して十分なメリットを感じるようになる必要があるのではないだろうか。

ここで興味深い指摘がある。これはskypeの技術者が国際会議の講演で述べた事であるが、skypeがそれまでの電話による通話を置き換えているのではなく新しいマーケットを作り出しているという指摘である。新しいマーケットとはどのような物だろうか。

一つは「親密なビデオ通話」と呼ばれるものである。それは例えば遠隔地に住む祖父母と幼児のビデオによる会話である。祖父母は当然ではあるが普段顔を合わせる機会の少ない孫の顔を見ながら通話したいと思っている。一方幼児の方は、祖父母との会話は楽しいとはいえ電話だとすぐに飽きてしまう。それが映像も含まれたskypeによる会話だと1時間程度の長い会話になる事が多いという。当然ではあるが、このような会話に使われる相手の数は限られる。したがってコンタクトリストにある通話相手の数は一桁の場合が多く、Facebookのように数十人、数百人とつながった状態とは大きく異なることになる。

もう一つは発展途上国新興国などにおけるskypeの利用者が多い事である。これはこれらの利用者が相手の顔を見ながら会話するビデオ通話に興味を持っているという事を意味しているのではない。むしろ生きて行く事で精一杯で高い通信費を出せないというこれらの国々における状況が、skypeの新しい利用者として生まれているという事を意味している。

このことは、ビデオ通話が普及するとすると、それはこれまでの音声によるコミュニケーションである電話が映像が加わった新しい通話形態に変っていくのではなくて、電話コミュニケーションとは異なった新しいビデオ通話というコミュニケーションの形態を作り出して行くという事を予感させる。

すでに私達は、携帯電話を使って音声によるコミュニケーションとメールによるコミュニケーションを使い分けているではないか。それはどちらがより利点を持っているかという形態の違いではなくて、異なるときと場合に応じてそれに適したコミュニケーションの形態を使い分けているのである。ということはこれからは携帯電話上でのskypeなどを用いたビデオ通話がそれに加わり、人々は音声通話、メール通話、ビデオ通話という3つのコミュニケーションの形態を使い分けて行くのではないだろうかと私は予測している。