シンガポール通信ー村上春樹を一応読了3

さてそれでは村上春樹と彼の小説はノーベル賞候補としてふさわしいのだろうか。私自身は先に述べたように、彼の作品が持つ文学作品としての深さとそして同時に娯楽性がうまくバランスしている所は高く評価したい。そしてまた彼が描く主題である、表の世界と裏の世界、人間における善と悪、主人公の成長、男女の精神的・肉体的つながり、などがインターナショナルな性格を持っており、日本的というよりはインターナショナルな作家として国外でも評価されているということも、高く評価できる所だと思う。

しかし同時に娯楽性に優れている故に、時として彼の小説に深さが不足しているのを不満に感じる点がなくもない。文学としての深さと娯楽性の両立というのはやはりなかなか難しいものである。もっともあまりそこを突っ込むと、熱心な村上春樹ファンに怒られるであろうから、このあたりにしておこう。

次に村上春樹の経歴について考えてみよう。彼は1949年京都生まれ。いわゆる団塊の世代に属する作家である。私自身も団塊の世代のはじめの方に属するので、彼の作品特に初期の作品に1960年代後半から1970年代前半の学生紛争の話が何度も出てくるのは、大変懐かしい思いで読む事が出来る。

彼の作品に登場する主人公を含め登場人物の何人かは、学生紛争にある程度関わった経験があるように描かれている。しかしながら、その関わり方はそれほど深いものではない。当時の学生紛争に深く巻き込まれ、それがあっけなく終わってしまったことで深い喪失感を心に抱えている人物というのは、学生紛争世代の作家の作品にはよく出てくる。しかし村上作品に出てくる登場人物は、それほど学生紛争によって心に深い傷をつけられているわけではない。

村上春樹自身は、学生紛争にある程度関わっていたとは言いながら、革マル派などの当時の学生紛争を主導していたグループからはある程度距離をおいていたのではあるまいか。学生紛争を主導していたグループの理想主義的な部分には共鳴しながらも、実際の学生紛争における彼等の運動の進め方の稚拙な部分にはついて行けなかったため、距離をおいていたのではないだろうかと考えられる。

私自身も学生紛争まっただ中の時代の1960年代後半に大学生時代を送った。1960年代後半は、共産党美濃部亮吉氏が東京都知事を務めており、また中国では毛沢東が主導する文化大革命が進行中であった。現在からすると想像できない時代であるが、共産主義の勢いがとまらず、日本も近い将来共産主義になるのではという思いを一般の人々も感じていた時代である。

私自身も、学生運度を主導していた学生達の理想主義に共感するところはあったが、彼等の運動の進め方には共感できなかった。それは大学を封鎖したり機動隊と石を投げ合ったりという稚拙なものであり、表面的には派手に見えるものの、実際には国家権力に歯向かうレベルのものではなかった。

その意味では、私自身も学生紛争からは距離をおいていた一人である。ただ、心理的には共鳴しながらも実際の行動は起こせない学生達は、学生紛争を指導しているグループからは「ノンポリ」(Non Politicalの意味)として揶揄されていたため、学生紛争に対してはある種の複雑な心理を抱えている。同世代には同じような考え方の人間が多いのではないだろうか。

それに対して村上春樹は、学生紛争を経験した世代であると共に、学生紛争が急速に終結に向かい、何事もなかったかのような平凡な社会が再び戻ってくるのを目撃した世代である。その意味では、彼はポスト学生紛争世代に属するという言い方が出来るのかもしれない。

学生紛争に関わった世代の人間に特有なのは、世界を変えようとする理想主義と理想主義の挫折による深い喪失感である。それに対してポスト学生紛争時代は、そのような理想主義というもののない時代であろう。それはある意味で人々が軽いスマートな生き方をしていることを意味しているが、同時に理想主義の欠落によるよるべきところのない不安感のようなものを人々がかかえている時代でもある。

村上春樹作品に表現されている世界観・人生観は、どうもこの二つの生き方・考え方が同居しているのではないだろうか。それが彼の作品にある種の軽さと深さが同居する事を可能にしているように私には感じられる理由であろう。

(続く)