シンガポール通信ー村上春樹を一応読了2

そして主人公は、与えられた困難な問題を解決する過程で、周りの登場人物のサポートや多くの幸運に助けられて、徐々に成長して行く。また時には現実世界と異次元の世界を自由に行き来するなどの特殊能力を身につけて行く。そして最後には困難を解決するのである。このような主人公の行動に対する直裁性は、読者にある種のさわやかさを与えるのではあるまいか。

行動に対する直裁性というのは、悪く言うとあまり考えないでとりあえず行動するということになるが、これはある意味でネットワーク時代の多くの人達の行動原理でもある。このあたりが、現代の人達に村上春樹の小説に登場する主人公が好かれ、結果として小説が好かれる理由ではあるまいか。

また、主人公が何かというとシャワーを浴び新しい服に着替えるシーンが出てくる。また、洗濯した服にアイロンをかけるシーンが出てくる。自分で洗濯した服にアイロンをかけるという行為は、下手をすると生活感が出て来て主人公に対する好感度を下げかねない。しかしながら村上春樹の小説では、この行為がむしろ清潔感を演出しており主人公に対する好感度を向上させるのに貢献している。

さらに、自分で料理を作る場面も何度も出てくる。ここも下手をすると生活感が出て来やすいところである。しかしながら、作る料理がサンドイッチであったりスパゲティであったりと生活感の出にくい料理であることも幸いして、むしろ料理も洗濯もスマートにこなす主人公という印象を与えるのに成功している。

もう一つはストーリーの特徴として、主人公に代表される善に対して大いなる悪が存在し、そして主人公が悪と対決し最後には悪を倒すというのが、ストーリーの根幹をなしている場合が多い事である。単純に善が悪を倒すというストーリーであれば、それは勧善懲悪の娯楽物語であったり、ロール・プレイング・ストーリーであったりになってしまうだろう。

文学作品として成立させるために村上春樹は、彼の作品で描かれている悪が人間の心の奥にある暗い部分を実体化したものであったり、戦争という普通の人間にはどうする事も出来ない大いなる悪であったりという設定にしている。ところが従来の文学作品の多くは、人間の心の奥の暗闇や戦争という大いなる悪を描くことによって文学としての価値を高めようとしすることにあまりにも焦点を当てすぎたため、小説の娯楽作品としての側面を失わせる結果となっているのではないだろうか。

それに対して村上春樹の作品はいずれも、人間の内面の暗さを描きながらも娯楽作品としての側面も維持する事に成功している。つまり読んで面白いのである。これまでの文学作品でこれが実現できたものは少ないのではないだろうか。つまり村上作品は文学性と娯楽性を高い時点で融合する事に成功していると言って良いのではないだろうか。もちろんそのために彼の小説は、全体としていくぶん軽いという印象を与える事は否めない。しかしその反面として現代の人々に受け入れられやすいという利点を有している訳である。

このあたりの人間の心の奥を描くという文学作品の常道をいきながら、かつ娯楽性を失わないという村上作品のバランスの良さが、彼の才能を示していると言えるだろう。もちろんその事は、文学作品としての質の高さを求める人達からは毛嫌いされるという面をももたらすのではあろうが。

もう一つ追加しておきたいのは、村上春樹の小説における主人公とそれを取り巻く女性達の関係であろう。いずれの小説においても主人公を取り巻く多くの女性が現れる。そしてその女性達のほとんどは何らかの問題を抱えている。それは自分の複雑な過去であったり、複雑な家庭環境であったり、現在の夫や家族との関係の問題であったりする。

興味深いのは、これらの女性と主人公の関係が基本的には精神的なものであることである。主人公は先に述べたように決して自ら積極的に行動に出るタイプではないため、これらの女性他達との関係の多くも自ら求めたというよりは、状況上それらの女性達との関係を結ばざるを得なかったという事が多い。そしていずれの場合もその関係は精神的なつながりから出発している。

もちろん主人公は多くの場合、それらの女性とセックスをする事になる。しかしそれは単に肉体的なつながりを求めたセックスではなくて、基本的には精神的なつながりをベースとしたセックスである。それは、たとえば夢なのか現実なのかが分ちがたく結びついたセックスの場面が何度も出てくる事からもわかる。

現代小説には、精神的なものを離れた単なる肉体的な結びつきとしてのセックスを扱いしかもそれを具体的な描写で扱う事が多い。そしてそのような描き方にある種の新しさを求める作家が多い事も事実である。それに対して、村上春樹の男女の性に対する描き方は正統的もしくはある意味保守的とでも言えるかもしれない。と同時にセックス場面描写の多くは具体的なのである。精神的な結びつきをベースとしたセックスではあるが描写が具体的というこのバランスもまた、村上春樹が小説を描く際のバランス感覚に優れた点であるかもしれない。そしてそれがまた現代の人たちに受け入れられているのだろう。

(続く)