シンガポール通信ー村上春樹を一応読了

ここ一ヶ月ほど村上春樹の小説を重点的に読んでいたが、主な著作は読み終えたかなという感覚である。とりあえずこれまで読んだ本を列挙しておこう。(カッコ内は発表もしくは出版年。)


長編小説
 風の歌を聴け(1979年)
 羊をめぐる冒険(1982年)
 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド (1982年)
 国境の南、太陽の西 (1992年)
 ねじまき鳥クロニクル (1995年)
 海辺のカフカ(2002年)
 アフターダーク(2004年)
 1Q84(2009年)

短編小説
 神の子どもたちはみな踊る(1999年)
 東京奇譚集(2005年)


われながら一ヶ月程度の間に結構彼の作品を読んだものだと思う。もちろん他にも読むべき小説は多いだろう。特に大ベストセラーとなった「ノルウェイの森」などは、どうしても読むべき小説であろう。

とはいいながらこの辺りで私なりにまとめることにより、何が村上春樹の魅力なのかを考えてみよう。そして並みいる他の現代日本作家を押しのけて、彼がノーベル賞候補と考えられているのはどうしてなのかも考えてみよう。

もっとも前に書いたように、私はここ一ヶ月ばかりの村上春樹のにわかファンであり、批評家などによる彼の小説の批評は全く読んでいない。私の個人的な感想に基づくものであり、一般的に言われている事に対して的外れな事を言っているかもしれないので、その点はご承知ねがいたい。

まず村上春樹の小説の一つの魅力は、現実世界の出来事と同時にもう一つの世界での出来事がほぼ同時進行的に生じる様子を描いている事である。この二つの世界の関係は、表の世界対裏の世界、もしくは現実世界と仮想世界(もしくは異次元世界)と言っていいであろう。彼の小説の特徴は、そのもう一つの世界が現実世界と同じように物理的に存在している世界であると同時に、人間の心の中の世界もしくは無意識の世界でもあることである。

現実世界対仮想世界を描く事はネットワークの普及に伴いSFの一つの定番になっている。しかしながらそれはたとえネットの中であっても通常は物理的な世界もしくは客観的な世界である。ここにSFが文学として認められにくい限界があるのだろう。それに対してこれまでの文学小説は、人間の心理を描くことそしてその一つとしての無意識の世界を描くことを定番としてきた。つまりそこではあくまで人間の心を描く事、いいかえると主観的な世界や無意識の世界を描くことに焦点が当てられてきた。

村上春樹の小説の特徴は、バランスよくこの二つの世界を融合した世界を描いている事にある。ネットワークの普及とともに、ネットの中の仮想世界がいわば表の世界としての人間の行動に対して、裏の世界として人間の心の中の世界と深く関係している事を人々が認め始めた。村上春樹は時代に先んじてそれを描いたと言えるであろう。それが現代の人々の関心に合致して多くのファンをつかんだのではあるまいか。

もう一つは、ストーリーの多くが主人公の成長物語である事である。主人公はすぐれた直感力や感受性を持っており誠実な人間である。しかしそれだけの人間なら数多くいるだろう。その意味では平凡な人間である。主人公を取り巻く登場人物の多くが、複雑な過去を抱えていたり精神的な問題を持っているなど種々の問題を抱えているのに対し、基本的には主人公は特にそれほど深刻な問題は抱えていない。その意味でも平凡な人間である。

平凡な人間であるが故に、特に積極的に自分から道を切り開いて行くタイプではない。どちらかというと受動的なタイプである。ところが、主人公は自ら望む訳ではないが大きな困難に直面させられ自ら行動する事を求められる。そしてその際に主人公はそれほど迷う事なく自分に求められた行動を選択するのである。このあたりの潔さというかクールさが、主人公に対して読者が感情移入しやすい点であろう。