シンガポール通信ー村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」:主人公「岡田トオル」

ねじまき鳥クロニクル」は、村上春樹の他の長編小説「世界のおわりとハードボイルドワンダーランド」「海辺のカフカ」「1Q84」などと並んで村上ワールドを構成している長編小説であるが、これらの間には登場人物やそれらの関係またストーリー構成などで密接な関連がある。

まずこれらの長編小説に共通しているのは、主人公が若い男性(「海辺のカフカ」の場合は少年)であること、さらには特別な能力を持っているようなスーパーマン的人間ではなく、小説の登場人物中ではむしろ平凡な種類に属する人間である事である。特に、「ねじまき鳥クロニクル」の主人公「岡田トオル」の場合は、その特徴が著しい。彼は30になったばかりである。弁護士になろうとして果たせず弁護士事務所で下働き的な立場で務めていたが、それにも限界を感じごく最近辞めており、現在は妻である「岡田クミコ」の主夫として生活している。

特に何の取り柄もないという点で、これら4つの長編小説の中でも最も平凡な主人公であると言えるだろう。しかしながら感受性に優れており、好感の持てる人物である事は確かである。多分村上春樹は自分自身をベースとして主人公を作り上げているのであろう。ジャズやクラッシック音楽に興味と造詣があり、可能なときは常に音楽を流している。また、清潔好きである。何かというとすぐにシャワーをあび、新しい下着とパンツ・シャツに着替える。

しかもGパンという学生のお決まりの服装ではなくて、例えばチノパンや綿パンにTシャツという、どちらかというと若手のビジネスマンのカジュアルな服装をしている。さらには主人公がこれらの服にアイロンをかけるシーンが何度も出てくる。そのため主人公はきれい好きで常にこざっぱりしている人間であろうと想像してしまう。それがこの主人公にある種のさわやかさを感じる理由だろう。

しかも175センチ・63キロという体型をしており、これはすらりとしてスリムであり背もそこそこ高い事を示している。さらに上に指摘したように、きれい好きで汗をかくとすぐにシャワーをあびて、洗濯をしてアイロンをかけてある服に着替える。そのような主人公からは、どうしても清潔感のようなものが漂ってくるではないか。

同様に、1Q84の主人公もよくシャワーを浴びて服を着替える。実は1Q84の主人公は、柔道をやっていた事もあってどちらかというとがっしりした体格であり少し太り気味であるという設定になっている。しかし、その行動パターンは他の長編小説の主人公とよく似ているので、どうしても太ったというイメージはわいて来にくい。したがっていずれの長編小説の主人公からも、いずれも背の高いスリムな好男子(「海辺のカフカ」の場合は将来はそうなるだろう少年)を想像してしまうのである。

また「岡田トオル」は、特に特技のない平凡な人間なのに決断力がある。というよりは何をするにも迷わない。あまり考えずに直感に従って行動しているといえばそれまでだけれども、日本の小説にありがちなうじうじと迷う主人公というイメージからは遠い存在である。このような主人公の人物設定は他の長編小説にも共通しており、村上ワールドを構成する一つの重要な要素なのであろう。

村上ワールドでは、現実と非現実の入り交じったストーリーが展開する。しかも悪の存在もしくは暴力の存在がそれらの世界の前提になっている。このような設定とストーリー展開は物語全体をダークにしてしまいがちであるが、このようなさわやかな主人公の設定がそれを救い、物語全体にある種の透明感・清潔感を与えている。

そしてこれら4つの長編小説のストーリーは、おおざっぱに言うといずれも主人公の成長物語である。ある意味で平凡であるけれどもストレートな性格の主人公が、いろいろな経験を経て大人になって行くもしくは精神的に強くなって行くというプロセスが、ストーリーの中核を構成している。そしてその過程で、いずれの長編小説の主人公もある種の特殊な力を有するようになる。
岡田トオルの場合は、井戸の底で数十時間も一人で過ごすという経験をした後、井戸の底から異次元の世界へ移動する能力を持つようになる。また触れるだけで他の人の精神的苦痛を和らげる力を持つようになる。そして彼がそのような特殊能力を持つようになったという事実は、彼のほほに突然あざが出来るという出来事で象徴的に表現される。

なぜ彼が井戸の底に入る必然性があるのだろうか。それはまったくないと言って良い。彼はなぜか井戸の底に入って一人になって考えたくなったから入るのである。また突然ほほに痣が出来ると通常ならパニックになるだろうが、主人公は他人の視線は少しは気にしているにせよ、病院に行くわけでもない。これまで通りの日常の活動を継続する。このような主人公の迷いのなさもしくは直線的な行動は読者に不自然さを与えても良いのだが、作者である村上春樹の語りに乗せられて、むしろ読者は小気味よさを感じるのではないだろうか。このあたりが村上春樹のファンの多い理由であろう。