シンガポール通信ー村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」3

さてこの本小説のストーリーであるが、それは一言で言ってしまえば先に述べたように、主人公が堅く閉じていた自分の意識の核の部分もしくはアイデンティティをいかにして開放してやるかという、いってみれば「海辺のカフカ」と同様の主人公の成長物語である。

なぜ主人公が自分の意識の核の部分を堅く閉ざすに至ったかは、本小説ではあまり触れられていない。普通の小説はこの部分の記述に枚数を使うのであるが、それをあえてしないのが村上春樹流なのかもしれない。そしてそれが本小説のタイトルにもあるように、彼の作品がハードボイルドであるとかクールであるとか言われるゆえんなのであろう。またこの部分をどう評価するかによって、彼に対する評価が全く逆になることがあるのだろう。

確かに、なぜ主人公が自分の心の核の部分すなわちアイデンティティの部分を固く閉ざす事になったかという部分を詳細に記述すると、それは作品に重さ(と同時に暗さ)を与えることになり、小説としてはより純文学作品的に取り扱われるのだろう。一方で重くて暗い作品は、現在の人たち特に若い人たちには敬遠されるかもしれない。どうもこの辺りの書き方のバランスの取り方とでも言うかに関して、村上春樹は大変上手い作家である。ベストセラー作家でありかつノーベル賞候補作家であるという一見不思議な取り合わせが成立しているのも、彼の特徴なのであろう。

さてもう少しストーリーを見て行こう。まずは本小説で描かれている二つの世界の一つである「ハードボイルド・・」から見ていこう。この世界の主人公である「私」は、「組織」と呼ばれる闇の団体に「計算士」として雇われている。「組織」は世界の情報を全て集める事をもくろんでいる。世界のすべての情報を集めようとしているというのは、なんだかグーグルみたいではないか。グーグルと違うのは、その情報を用いて世界をコントロールしようとしている事である。(もっともグーグルがそれを狙っている可能性がないとは言い切れない。私達はグーグルの理想主義的なモットーを信じているだけであって、グーグルがその気になれば集めた情報を悪用する事も可能である。)

そしてそのために「組織」は彼らが集めた貴重な情報が盗まれないように暗号化して保存している。そして敵の組織に情報を盗まれないような複雑な暗号化方式で暗号化するため、その処理を専門に行う人間を雇って暗号化を行わせている。それが「計算士」と呼ばれる人間である。同じく組織に雇われている科学者である「老人」は、単純な暗号化方式では破られるため、新しい暗号方式として個々の人間が持つ意識の核の部分を暗号化のために用いる事を考える。

意識の核の部分とは、いわば無意識の領域にあって各個人の総体を作り上げている部分であり、感情・性格・思想などが渾然となったものである。つまり人間の無意識の情報処理のプロセスを暗号化に使おうというわけである。なるほどこれだと個々の人間によってアイデンティティは異なるから処理プロセスも異なるし、しかもその具体的なプロセスは本人も意識できない訳であるから、盗む事も出来ない事になる。しかしながら通常この部分は心の奥底にあって情報処理には使われないものなので、その機能を暗号化のために働かせるためには特殊な能力を持った人間が必要であり、組織は計算士の中からその役割に適した人間を探し出して育てようとしている。

ところが大半の人間は意識の核の部分は混沌としているため、ブラックボックスとしては使えても、改良したり機能を加えたりする事は出来ない。もちろん本人が死んでしまえば暗号を解く事は不可能になる。そこでさらに、老人はこの混沌とした意識の核の部分をさらに詳細に分析し、筋道の通った処理プロセスで置き換える事を考える。つまりブラックボックスの中身をシミュレーションする処理フローを作り出すのである。そしてそのシミュレートされた処理フローを新しい意識の核(新意識核と呼ぼう)として頭の中に植え付け、暗号化の際にはその処理フローを使うという事を考える。さらにそれを実現するため、主人公などの選ばれた計算士にその新意識核を埋め込む手術を行う。

普段は使っていない意識の核の部分(無意識の部分)を情報処理に使わされ、しかも本来混沌としている部分に無理矢理論理的な処理手順を強いられる事は頭脳に大きな負担を強いられるため、大半の計算士はそのような処理に耐えられず死亡してしまう。ところが主人公は生い立ちなど種々の理由により、意識の核の部分を心の他の部分から切り離してきた。しかも意識の核の部分では、感情などに流される事がないよう感情などの働きを極力排除して来たのである。言い換えると、主人公は心の奥深い部分を常に閉じて来たのであり、かつその奥深い部分で感情などが絡まないように無意識にしてきたのである。

そしてそのように意識の核が切り離されており感情的な働きが少ないために、主人公はシミュレートされた意識の核である新意識核を頭に埋め込まれても、それほど違和感を感じる事なく生き続ける事が出来たのである。しかしながら人間が本来持っていた意識の核における処理をそれをシミュレートした機械的な処理に置き換える事を進めると、やさしい言い方をすると「心」というものを持たなくなることになる。もちろんまだそのような状態には至っていないが、そのような危険性が大きい事になる