シンガポール通信ー村上春樹「海辺のカフカ」:登場人物の間の陰と陽の関係

その他にこの小説では、多くの登場人物を表と裏、陰と陽等の関係でつないでいる。そしてそれがこの小説の構成を複雑にしかつ面白くしている。以下、私の独断が入っており間違っている部分もあると思われるが、登場人物の間の関係を見て行こう。

まず主人公田村カフカと副主人公とでも言うべきナカタさんであるが、この二人は陰(ナカタさん)と陽(田村カフカ)の関係で精神的・霊的につながっているといっていいであろう。いやむしろ同一人物の別の現れ方としてとらえても良いかもしれない。田村カフカは、高松で意識を失っている間に遠く離れた東京で彼の父親を殺すのであるが、それを実際に実行するのはナカタさんである。この事は少なくとも二人が精神的・霊的につながっている事を示している。

田村カフカとナカタさんは、この小説の中では実際に出会う事はない。しかしながら二人とも無意識に四国の高松をめざし、最終的には高松の私立図書館に行き着く事は、二人の間に何かしら強い結びつきがある事を示している。この二人はその図書館の館長である佐伯さんという美しい女性と出会う事になる。そして後でも述べるようにこの出会いと二人の佐伯さんとの関係が二人の旅を完結させる事になる。田村カフカとナカタさんが直接出会わないという事実も、この二人が実は同一人物である事の別の証明になると私には考えられる。

またナカタさんと、彼が記憶と知的能力をなくす直接のきっかけを作った小学校時代の女教師との関係も興味深い。この女教師は多分強い霊的能力を持っていたのであろう。彼女はナカタ少年などを引率して遠足に出かけた際、急に訪れた月経を処理しているところをナカタ少年に見られてしまい、混乱して発した霊的エネルギーがナカタ少年から記憶と知的能力を奪ってしまうのである。

この事件は戦時中に起こるのであるが、当時の日本軍やさらにはそれを引き継いだ米軍によってもなんからかの新しい兵器によるものではないかと推測されて調査が行われるが、結局は原因不明で処理される。ナカタ少年はじめ遠足に行った生徒達が一種の催眠術状態に落ち入った事の理由が、この女教師の発した霊的エネルギーによるものであることは、彼女が残した手紙によって示唆される。

多分この女教師は、ナカタさんに対する負い目をずっと感じていたのであろう。そしてこの女教師は、田村カフカが訪れる高松の図書館の館長である佐伯さん(実は田村カフカの母親)とも霊的につながっている。佐伯さんも強い霊能力を持っており、青年時代に死んでしまった彼女の恋人を思い続け、彼が住んでいた図書館の部屋(実はその部屋に田村カフカが住んでいる)に生霊となって夜な夜な現れる。そしてそれが田村カフカと佐伯さんが交わる事になるきっかけとなる。佐伯さんは、田村カフカの中に若くして亡くなった恋人のイメージを見ており、そのために彼女と田村カフカの結びつきにより、佐伯さんが彼女の恋人に対して持っていた一種の執心が癒されるのである。

同時に、先に述べた女教師がナカタさんに持っていた負い目は、何らかの形で佐伯さんに引き継がれている。ナカタさんが無意識に四国の高松をめざし、そして佐伯さんが住んでいる図書館を見いだそうとするのは、ナカタさんと女教師の間に起こった出来事を両者が引きずっており、それが二人の間に引力となって働いたのであろう。

そしてナカタさんは図書館を見いだし、周りの制止を振り切って佐伯さんに会いに行く。佐伯さんはそれまで書きためていた彼女の自伝をナカタさんに渡し、それを焼却してくれるようナカタさんに依頼した後静かに死んで行く。もちろんその自伝に陽に書いてある事は佐伯さんと恋人の思い出であろうが、実はこの出会いによりナカタさんは佐伯さん(そしてそれは自分の小学校時代の女教師を意味する)を許すという行為をした事になる。この許しにより、佐伯さんは自分のかっての恋人やさらにはナカタさんへの執着心から解き放たれるのである。

またナカタさんの方でも、女教師を許す事により現世での仕事の一つを終えたのである。後は先に述べたように、ホシノ青年の力を借りて冥府への入り口を開ける事が最後の仕事になるのである。冥府への入り口を開けた後は、最後にそれを再び閉めるという仕事があるが、それはホシノ青年に託して、彼自身は現世での仕事を終えた人間として冥府へと降りて行くのである。

とまあこのように書いて行くと、「海辺のカフカ」はいろいろと入り組んだ人物関係やストーリー展開になっている小説である。しかし同時に極めて緊密な構成のもとに書かれた小説である事がわかる。しかもそのような複雑な構成にも関わらずストーリーに破綻しているところが見られない。読者は村上春樹ストーリーテリングの力のままにストーリー展開を体験して楽しむ事が出来る。

小気味よいストーリー展開で読者を飽きさせる事なく、しかもストーリーの終結は田村カフカの成長物語としてはハッピーエンドに終わっている。さらに後で思い返してみると、それぞれの登場人物や、ストーリーの枝葉の展開などが実は極めて緊密に計算された上で成り立っている事に気付く。1Q84以上に良く出来た小説ではあるまいか。そして最初に指摘したように全体としての印象はさわやかなものであり、決してカフカのような不条理の世界を描いたものではない。