シンガポール通信ーダニエル・ピンク(大前研一訳)「ハイコンセプト」

タイトルと大前研一氏が訳しているという事に惹かれて購入し読んでみた。読み始めにはハウ・ツーものを読む時に感じるある種のいかがわしさを感じたが、結論から言うと結構まじめな内容の本である。

基本的にはこの本の内容は、従来の左脳いいかえると論理ベースだけに依存した思考に対し、今後は右脳いいかえると直感・感情ベースの思考を加える事の重要性を説いたものである。右脳の重要性はある意味で、今や常識になりつつある考え方かもしれない。その意味ではこの本は、本屋に数多く並んでいるハウ・ツーものの本の1つと考えられるかもしれない。従ってこの本について書く前に、まずハウ・ツーものについて考えてみよう。

ハウ・ツーものといえば、「どうすれば株式投資で成功できるか」「どうすれば金を貯める事が出来るか」「どうすれば起業して成功できるか」などだれもが望むこと、いいかえると誰もの心をくすぐるようなタイトルのもとで、それらをどう実現できるかを書いた本と解釈する事が出来るだろう。もっと低俗なところでは「どうすればパチンコで儲けられるか」「どうすればギャンブルで儲ける事が出来るか」等という内容の本も相変わらず本屋の書棚にならんでいる。

これらの本に書いてある事の多くを嘘八百だと考えている人もいるが、実は決して嘘が書いてあるわけではない。いやむしろ当たり前の事が書いてある事が多い。例えばどうしたら金を貯めることが出来るかというタイトルの場合、結局のところ内容は、いかにして出費を抑えるというようなものである事が多い。ただ、その当たり前の事を、仰々しいタイトルや大げさな書き方によって書くことにより、何か新しい事が書いてあるかのように読者をその気にさせるという方法論の基づいて書かれているものが多いのではないだろうか。

ある意味正しい事が書いてあるわけであるから、読んでいる読者もなるほどと思いながら読む。当たり前の事を読者にその気にさせて読ませるところにおいては、ストーリーテラーとしての著者の力量を要するところである。その意味で、著者には小説家と同様の資質をようするのかもしれない。問題は、読み終えてから、あたりまえのことが書いてあるだけなので、多くの場合それを実現するにはどうすれば良いのかがわからないという事である。

いいかえると、成功のための必要条件は書いてあるのである。これらのハウ・ツーものの書き方としては、多くの成功例から共通する要素を抜き出してまとめたものが多いと考えると良い。なるほどそれこそが必要条件であろう。しかし必要条件を満たしたからといって、目的が実現されるわけではない。数学的な言い方をすると、必要条件だけではだめであって、誰がやっても成功するには十分条件が書いてある事が必要なのである。

もっとも十分条件というのがあるかどうかは怪しいものである。多分現実に成功するためには、必要条件を満たした上でそれぞれのケースに依存したプラスαの条件が必要なのだろう。そしてそのプラズアルファは時と場合に大きく依存しているのではないだろうか。つまり全ての例に対して共通に存在する十分条件というのはないといったほうがいいのかもしれない。

たとえば、時期的に早すぎても遅すぎてもだめなのである。このブログでも書いたけれども、スマートホンのオリジナルなコンセプトは、かってのアップルの個人端末ニュートンにまでさかのぼるだろう。しかしながらニュートンは早すぎたわけで、携帯電話機能、ネットとの接続機能、さらにはカメラ機能などと合体する事により始めて人々に受け入れられるようになったと言えるのではないだろうか。さらには、人々がスマートホンを受け入れるには、機能としては同等である携帯電話がすでに普及しており、そこにタッチインタフェースを加えるという事があって初めて条件が整う事になったのではあるまいか。

また、ある場所・国で成功したからといって他の場所、他の国で成功するとは限らない。例えば小型のヒューマノイドロボットやアイボに代表されるペットロボットは、日本ではブームとなったが他の国ではそれほど受け入れられず、結果として日本のブームもしぼんでしまった。

さらに事を難しくしているのはユーザが受け入れてくれるか否かが、最終的に成功するか否かを決めているということである。人間というのはいまだに理解困難な存在であって、その一つである人間の受容能力というのは、ある意味でまだ十分わかっていないところがある。受け入れられた後で(もしくは受け入れられなかった後で)なぜそうかを説明する事は可能でも、事前にそれを正しく予測することは大変困難である。

たとえばこのブログでも3Dテレビの出現期にそれは成功しないだろうと私は書いたが、それを明確に指摘したマスコミの論評は全くなかったと言っていいのではないだろうか。もちろん私自身も100%の自信があったわけではなくて、直感に従って主張していたところが強いのであるが。いいかえると直感というのは結構頼りになるものなのである。

つまりこういうことである。多くのハウ・ツーものに書いてある事は、必要条件であって間違っているわけではない。しかしながらそれに従った行動をとってみても、成功するわけではない。それは、成功するための十分条件は多分それぞれのケースによって異なるのであろうから。

昨日の日経新聞の日曜版の名言集にスティーブ・ジョブスの「ベストを尽くして失敗したら、ベストを尽くしたってことさ」という言葉が載っていたが、正に名言ではなかろうか。