シンガポール通信ークリス・アンダーソン「メイカーズ」3

ソフトウェア産業において、なぜ大企業ではなくとも個人レベルで新しいソフトを生み出す事ができ、そしてそれに伴い比較的容易に起業でき、これが産業構造そのものを変えつつあるかという事を前回述べた。それはまとめると以下の3点になる。

1.ソフトウェアが持つ固有の特徴:基盤となる製造設備がなくてもソフト開発ができる。

2.オープンソース・ソフトウェア:ネットワークを介して開発したソフトをオープンにする事によって、興味を持ちかつ能力を持つ人たちがソフトの改良等に参加できる。

3.ロングテール:ネットワークを介した販売はコストがかからないため、ニッチな市場でも十分ビジネスとして成り立つ。

さて、それでは物作り・製造業の分野で同様の状況が生じうるだろうか。「メイカーズ」の第二部「未来」では、著者のクリス・アンダーソンはそれが可能であると主張している。ここでは彼の主張をまとめ、上のそれぞれの条件をいかにして物作り・製造業の分野でクリアできるかを考えてみよう。

まず2番目のオープンソースであるが、これはソフトでもハードでも全く同様に成り立つと考えて良い。ソフトの場合はソースコードを公開すれば良いが、それに対してハードの場合はCADソフト(3Dデザインのソフトで、CGキャラクタ作りなどに使われる3DCGソフトと基本的には同じもの)を使って作られた3Dデザインのソースコードを公開する事になる。このソースは3Dプリンタに入力すればそのまま3Dの造形が出来る。著者自身が、彼の経営する自動操縦の模型飛行機の製造キットと部品を販売する会社3Dロボティクスを立ち上げる時に、アイディアやソースをネットを通して公開する事により、有能な技術者・プログラマの協力を得る事が出来た事を描いている。

それでは3番目のロングテールはどうであろうか。これを少量多品種と解すると、大企業が興味を持たない小規模市場・ニッチ市場向けの商品を作る事を意味する。大企業は興味を持たない小さな市場でも、数人で立ち上げたスタートアップ会社であれば十分ビジネスを行って行く事は可能であろう。従って基本的にはこの点でも、ソフトとハードでは違いはない事になる。

ただ注意しなければならないのは、ソフトの場合と異なってハードであると流通経費がかかる事である。特に安価な製品をユーザに送ろうとすると荷造りの手間や運送費が大きな問題となる。(著者自身が、3Dロボティクスの立ち上げ期のころ、注文に応じて模型飛行機キットを個別に箱詰めし送付する作業が大変だった事を述懐している。)ということは、当初からある程度付加価値が大きく、価格もそこそこの製品を扱う必要がある事を意味している。

つまり3Dプリンタで簡単に作り出せてしまえ、そのあたりの土産物屋に並んでいるような樹脂製や木製の小物などでは商売としては面白くないし、また従来の産業構造に変革を与える可能性も小さい事を示しているのである。私自身も、かって持っていた小型ヒューマノイドロボットの製造・販売会社の副業として、岩塩を使ったランプの製造・販売に手を出した事がある。楽天を通して販売したのであるが、確かにある程度の需要はあるのだが単品の価格はそれほど高くは出来ず、それに対して出荷の費用と手間が大変であって、結局大した利益は出ない事がわかり早々に撤退した事がある。

高付加価値で、ニッチな市場向けのハードの開発。これは実は非常に困難な問題なのである。著者が設立した3Dロボティクスにしても、著者の趣味の模型飛行機に自動操縦という付加価値を付ける事により新たな市場を開発する事が出来たのである。そして会社の設立・発展に際しては、著者が持つ起業家精神が大きく寄与していたことも間違いない。この事は最後の1番目の条件とも関連してくる。

さてそれでは最後の1番目の条件はどうであろうか。プログラミング言語を知っていれば誰でも開発できるソフトとは異なり、ハードの開発にはそのための設備を必要とする。日曜大工程度ならまだしも、ある程度複雑なハードを開発しようとすると、これまでだと著者の祖父が持っていたようなボール盤・グラインダーそして旋盤などを必要とする。いわゆるセミプロに近い技術と道具を必要としたわけである。

それに対して、この本の主要な内容になっている3Dプリンタを使うと、ある程度複雑な構造をした3Dの造形物を作る事ができる事は確かである。しかし注意しておかなければならないのは、3Dプリンタで作り出させる造形物はそれが主として樹脂によるものであるため、最終製品にはなりにくい。あくまでも試作品もしくは最終製品製作のための金型を作り出すためのものでしかない。ここにソフトとハードの大きな境界があるのではないだろうか。

実は新しい物作りを行おうとする際には、著者が述べているもう1つの条件、サプライチェーンが個人にも開かれて来た事が大きな意味を持つのである。

(続く)