シンガポール通信ーシンガポール政府要人の女性スキャンダル2

実はシンガポール国立大学(NUS)内でも、この種のスキャンダルが今年発覚している。なんでも、NUSのビジネススクールの教授が同学部の女性生徒と不倫問題を起こし辞任したとの話を聞いた。これも当初は単なる噂であったものが、新聞などで取りあげられるなどして公になったため、最終的には当の教授が辞任に追い込まれたとのことである。

この種のスキャンダルは、日本ではある意味ではごく普通に起こっている。また欧米でもよくある話であり、特にフランス・イタリアなどの南欧の国々の国民は、このようなスキャンダルに対しては比較的寛容的であるようにみえる。ただ前回も述べたが、シンガポールのように厳格や規律を守ることが政府によって求められ、人々もそれを受け入れて来た国で、そのようなスキャンダルが最近しばしば起こっている事をどうとらえるかという事である。

経済成長を最優先政策に掲げ、国民をその実現にめざして突き進ませようとし、そのために規則・規律の遵守を国民に求めて来た国が、先進国に追いつきさらには追い越そうという位置にまで達した現在、やはり他の先進国と同様の問題を抱えるようになったのだなというのが私の正直な感想である。

これは別に驚きではない。それよりもシンガポール普通の国だったのだなという、一面では安堵感でありもう一面ではちょっと拍子抜けしたというか、そういう感覚を私としては感じるのである。これはもちろん私だけではなくて、シンガポールを知りまたシンガポールに興味を持っている人達なら等しく感じる感覚であろう。

シンガポールは女性の出生率も日本とほぼ同じ程度の低さであり、日本同様近い将来高齢化社会になるといわれている。それと共に、いつまでもこれまでのような経済的な高成長を持続して行く事が出来るかどうかも、疑問であると言われている。つまり早かれ遅かれシンガポールも、欧米や日本などの先進国が抱えているのと同じ問題を抱える事になるのである。

国が小さいだけにそのような変化は急激に訪れるであろうし、またそのような変化が社会に与える影響もより大きいであろう。そのような変化に対してどう対処するかというのは今後のシンガポールの重要な課題ではなかろうか。

もう1つ新聞を読んでいて興味深く感じたのは、このスキャンダルを新聞が細部にわたり報じていることである。マイケル・パーマー氏の経歴や相手の女性と不倫関係を持つに至った経緯、さらには相手の女性に関し名前や写真も含め詳細な紹介まで行っている。そしてもう1つ驚いたのは、パーマー氏のスキャンダルと同時に、今年のもう1つのスキャンダルである労働党の前議員のスキャンダルに関しても詳細に報道し、両者を比較しようとしている事である。

スキャンダルを比較して何になるのかと私は思ってしまう。しかしながら多分新聞編集者は、野党の労働党(それはこれまでは与党のようにエスタブリッシュされた人たちの党とは見なされてこなかったと思われる)と同様に、与党のエスタブリッシュされた人たちも同じような女性スキャンダルを起こすのだという事を、人々に知らしめようという意図をもってこのような比較を行ったのではなかろうか。

つまり、政府の与党の要人と言えど普通の人なのだということを、主張したかったのではあるまいか。そして同時に新聞では「我々はリーダーに高いモラルを求めるべきか」というタイトルでいろいろな人の意見を聞きそれを載せている。それに対してYesの意見の代表的なものは、「政府の要人という重要な立場にいる人間は一般の国民の代表であり私的な行動に関しても高いモラルが求められる、従って今回の辞任は当然である」というものである。またNoという意見の代表的なものは、「公的な活動と私的な活動は分けるべきである、公的な活動を高いレベルで実行できていれば、私的な活動で本人を判断すべきではない」というものである。

もちろんこの2つの意見は他の国々でも聞かれるある意味で典型的な意見であろう。私が言いたいのは、このようなある意味でよくある比較意見を新聞に載せるという事自体が、シンガポールが「普通」の国へと変りつつある事を示しているのではないかという事である。

それは結局は好ましい変化であろう。と同時に私はそれでは中国はどうなるのかと考えてしまう。よく言われているようにシンガポールの国民の大半は中国をルーツとしている人たちである。シンガポール普通の国に変りつつあるとすれば、現在は異質な国であると考えられている中国も、将来は(それがいつになるかは別として)普通の国に変って行くのではあるまいか。