シンガポール通信ー仁和寺の法師

仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思い立ちて、ただひとりかちよりもうでけり。(中略)少しの事にも先達はあまらほしきことなり。」

高校の時に古文で習った有名な吉田兼好の「徒然草」の一節である。誰でも部分的には覚えているのではないだろうか。私もこの部分はずっと頭に残っており、一度は仁和寺に行ってみたいものだと思っていたが、長い京都暮らしの間も結局行く事がなかった。

京都にいると、いつでも行けるからという思いと共に、地元の人間が観光客にもまれながら名所観光をするというのもなんだかばからしいと思うからだろうか。東京に住んでいる人で東京タワーに上った事のない人が多いのと同じ理由だろう。

シンガポールに住むようになってから、たまに京都に帰る際には空いた時間があれば寺社巡りをしてみようかという気になるから不思議である。同様にシンガポールにいると、週末ひまなので読書をしてみようかという気になる。帰国する際に岩波文庫を買い込んで週末に読む習慣が出来てしまったのも不思議と言えば不思議である。

たぶんシンガポール暮らしをすることがなければ、書店の岩波文庫の並んでいる棚のまえにたたずむようになることもなかったろうし、ましてや岩波文庫哲学書を買い込んで週末に読むということにもならなかったろう。何がきっかけで何が起こるかというのはわからないものである。

さて、前回お盆の前後に帰国した際に、ようやく仁和寺を訪れる機会を持つ事が出来た。仁和寺は京都の北西部のほとんど市街をはずれかけたところにある。本来は大変不便な場所などのであるが、比較的簡単にバス一本で市の中心部である四条烏丸や京都駅から行く事が出来る。

というよりは、京都市街の内外にある有名な寺社に容易に行く事が出来るようにバス路線が設定してあるようである。そこそこ名の知れた寺社に行こうとすると、京都駅や四条烏丸からだと必ず行く事の出来るバスが存在するということを今回見いだした。さすがに観光の街である。

行って見て驚いたのは極めて広大な境内を有している事である。仁和寺の法師の話はある意味で世間知らずのお坊さんを茶化しているわけであるが、そのためか仁和寺はなんとなく小さな寺であるような錯覚を持っていた。ところが大変広大な境内に整然と各種のお堂が配置されている寺なのである。いや、反対にこのような広大な寺で世間とは隔離された生活を送っていたからそこのお坊さんが世間知らずになったのかも知れない。



入り口の二王門とその脇にある仁王像。



入り口入ってすぐ左側の御殿の入り口。



御殿内の南庭。広い敷地には左近・右近の桜以外はなく整然とした白砂がひいてあるだけである。



御殿内の宸殿から北庭を見る。北庭の遥かむこうには五重塔が見える大変美しい風景。



宸殿から北庭をへだてて霊明殿を見る。これも大変美しい風景。



御殿を出て金堂に向かう途中の中門にある四天王像。これは西方広目天



金堂に行く途中の左手にある有名な御室桜。通常の桜より背が低く遅咲きである。



金堂に行く途中の右手にある五重塔



遠く金堂を望む。金堂は御所にあった紫宸殿を江戸時代に移したものである。