シンガポール通信ージャレド・ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」6

「銃・病原菌・鉄」の中で著者は、地理的な結びつきの強さが技術の進歩に寄与して来たと主張している。具体的に言うと、緯度的にほぼ同じであり、東西に広く広がりのある地域が存在し、そこが食料生産に適した植物が存在しており、また飼育に適した動物が存在しているところで、最初の技術である食料生産と家畜の飼育が始まった。そしてその後種々の技術が生まれ、さらにそれらがその地域内で相互に伝搬し利用し合う事により進歩のスピードが早まり、結果としてその地域が地球上の他地域に比較して進んだ技術と政治制度を持ち、他の地域を圧倒する事になったというのである。そしてそれが、現在の欧米の他国に対する優位性の確立に結びついているというのである。

しかし同時に中国(もう少し広く言うと中国を中心としてアジア)は、この説明にはうまく合致していない。中国は地理的な優位性という意味では、上記の条件にうまく合致している。そして食料生産や家畜の飼育は、ヨーロッパに先んじて始まった。そして技術や政治制度の発展に関しても、15世紀頃まではヨーロッパに先んじていた。事実13世紀には、ヨーロッパの一部をも含めユーラシア大陸を横断するモンゴル帝国を作り上げているのである。中国がその優位性を維持できなかったのはなぜであろうか。

これに対しては、中国では地理的な結びつきが強すぎたため、比較的早くから全土を統一する国家が誕生し、それが技術的進歩の妨げになったというのが著者の説明である。しかしこれは十分であるとは言いがたい。それではどのように考えればいいだろうか。私は次のような説明が出来るのではないかと考えている。

1つはやはり、地理的な要因いいかえると「風土」のみが広い意味での人間の営みに影響を及ぼすという、いわゆる環境決定論だけで説明しようとするのは無理があるのではないかという事である。私は、紀元前のギリシャで生まれた西洋二元論、および同じように紀元前に中国で生まれた東洋一元論が、その後の人々の考え方・行動の仕方を大きく律して来た事を主張して来た。そしてそれは、単に過去の哲学としての役割にとどまっているのではなくて、現在人々が新しいメディアを使ってコミュニケーションする行為に大きな影響を与えている事を主張して来た。もちろん、西洋二元論と東洋一元論にそれぞれの地域の風土が及ぼした影響はあるであろう。そしてそれを検討する事は重要ではある。しかし西洋二元論と東洋一元論のちがいが人々の考え方・行動に影響を与え、そしてその結果として技術の進歩に影響を与えた事は確かであろう。中国と西欧のこれまでの歴史、そして現時点での関係を説明するにはそのような考え方を導入する事も必要なのではないだろうか。

もう1つの点は、「銃・病原菌・鉄」の著者は、歴史を現在の時点から過去にさかのぼった見方のみをしているという事である。現時点では、欧米の技術さらには文化が圧倒的な力を持っており、いわば世界を制覇しつつある事は確かである。よく言われるグローバリゼーションの意味が、実は欧米の技術・文化を取り入れる事を意味している事は、私も何度も述べて来た。しかしそれはあくまで現時点での状況である。

歴史というのは、過去の出来事のみから構成されているのではない。私達自身も歴史を生きているのであり、現在生じている事も歴史の一部である。そのような考え方からすると、どうも著者のダイヤモンドは、欧米の優位性が決定されたものであり、今後とも継続するかのように考えているようである。本当にそうであろうか。

私は、グローバリゼーション言い換えると欧米化の動きはある意味で表面的なものであり、その背後には別の動きとして「欧米のアジア化」という動きがある事を主張して来た。そしてそれは、現在の人々のコミュニケーションにおける行為にあらわれてきている。具体的には何度も述べて来たが、会議やディナーなどの公的な場で私的なメールの送受を行うという行為がそれにあたる。このような行為が欧米人の間でもごく普通の行為としてみられるようになって来ているのである。

この欧米のアジア化という動きの先には何があるだろうか。15世紀の印刷術術の発明により、プラトンによって提唱された理性優位の考え方が西洋の人々の間に広まったといえるだろう。そして15世紀は大航海時代の始まりでもある。どうもこの頃に中国の優位性が崩れ、西洋が中国を追い抜いて世界に対する優位性を確立し始めたのではあるまいか。

しかし西洋における印刷術の発明からまだ600年足らず。ダイヤモンドが「銃・病原菌・鉄 」の中で述べているように、人類が動物の地位を脱却して現在につながる進歩を始めた時期を1万3000年前と考えると、600年は極めて短い時間である。欧米優位の世界は実はまだ600年しか続いていない。東ローマ帝国を入れると1500年にわたるローマ帝国の歴史に比較しても、それは極めて短い時間であると考えられるだろう。

ということは、今後変化があり得るという事である。政治的・経済的な意味での中国の台頭は誰もが認めることであろう。近い将来に経済的に最大の国になる可能性もある。そしてそれと同時に、コミュニケーション行為を中心として人々の日常生活における行為において「欧米のアジア化」という現象が生じつつあるとすると、将来は中国そしてアジアが再び優位性を回復する事もあり得るのではないだろうか。21世紀はアジアの時代というのは実はそのような意味であると私は考えている。