シンガポール通信ージャレド・ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」5

ところがヨーロパ対中国の関係に対しても同じ論理で説明しようとするため、著者が大変苦労しているという印象を与える。

本書にも書いてあるが、中世においては中国は技術の分野で世界をリードしていた。中国で発明された技術は、鋳鉄、羅針盤、火薬、製紙技術、印刷術などである。これらのうち、羅針盤、火薬、製紙技術、印刷術は古代中国の4大発明と言われている。羅針盤の発明は11世紀以前と言われており、これはヨーロッパより1世紀は早い。火薬はすでに唐の時代(7世紀〜9世紀)に発明されていた。そして火薬を用いた銃がモンゴル帝国の時代にヨーロッパに伝わったとされている。製紙技術はすでに紀元前2世紀頃には確立しており、その後8世紀にイスラム世界に伝わり、さらにそこからヨーロッパに伝わったとされている。印刷術に関しては、11世紀には陶器による活字を用いた印刷が行われていた。さらに金属活字による印刷は13世紀頃には発明されている。これに対しヨーロッパでグーテンベルグによる金属活字による印刷術が発明されたのは15世紀である。

さらには中国は古くから統一帝国が出現し、政治制度の発達の面でも世界をリードしていた。航海技術や海洋技術にも優れていた。例えば15世紀初頭には鄭和による南海遠征が行われ、船団はアフリカ大陸東岸にまで到達していた。これは15世紀中頃から始まるといわれるヨールッパの大航海時代に先んじているのである。

ところがこのような中国の各方面でのヨーロッパに対する優位性をその後中国は失って行く。そして19世紀半ばには香港がイギリスの植民地になるなど、一時は南北アメリカ南アフリカ、オーストラリアなどで生じたヨーロッパ人による進出と現地移住が生じうる状態であったのである。

この理由について「銃・病原菌・鉄」の著者は次のように説明している。ヨーロッパは入り組んだ海岸線を持っており、各種の山脈がヨーロッパ全体を分断してる。このためにヨーロッパ全体は独自の言語、民族、政治体制を持つ地域に細かく分かれており、それらが全体として統一される事はなかった。そうではなくて多くの地域・国家がそれぞれ競合状態にあった。このことが新しい技術、政治体制を生じる事を可能にさせた。

これに対して、中国では国内の自然の障壁があまりなく、地域の地理的結びつきが強かったため、比較的早くから全土の政治的統一がなされた。そして紀元前221年における秦の中国統一以降、統一国家の主体は変ったものの、常にほぼ1つの統一国家として存在した。しかし統一国家が存在し一人の支配者の決定が全体を決める事になり、ヨーロッパにおけるような競争状態が生じる事が少なく、時には支配者の決定によって技術革新の流れが停滞してしまう事が生じた。そしてこれが中国が当初持っていたヨーロッパに対する優位性を失わせ、現在の欧米の他国に対する優位性の確立につながっているのである。

この説明は一見説得性を持っているようであるが、よく考えると釈然としない点を持っている。それはこの本の中で著者が自然環境の障壁の少ない場所では技術が伝わりやすく、それがそれらの地域での発達のスピード化に貢献し結果として欧米の他国に対する優位性確立に寄与したと主張しているのであるが、一方中国ではそれが反対に作用しているからである。それに関し著者は、技術の発達は地理的な結びつきからプラスの影響とマイナスの影響を受けていると述べている。そして、技術は地理的な結びつきが強すぎたところでもなく弱すぎたところでもなく、中程度のところで最も進化のスピードが速かったと説明している。

これはこの本の中で著者が主張して来た事をある意味で自ら否定している事にならないだろうか。ここまで地理的な結びつきの強さが技術の進歩に寄与していると主張しておきながら、強すぎてはだめで中くらいが良いというのであれば、その「中くらい」という条件を具体的に示し、そしてもう一度全世界の歴史の中で「中くらいの地理的な結びつき」がヨーロッパにおいてだけ存在したのか、他の地域では存在しなかったのかを検証する必要があるだろう。それは残念ながらこの本の中で話されていない。もちろん著者は中国の特異性には気付いてはいるが、その特異性に対する説得力ある説明は本書で話されていないと言えるだろう。

それではこの事はどのように理解したら良いのだろう。

(続く)