シンガポール通信ージャレド・ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」4

さてここまでの説明は、それなりに説得力があると考えて良いだろう。それと同時にこの本を読んでいて感じたのは、和辻哲郎の「風土」とこの本の内容の類似性である。和辻哲郎の「風土」では、世界の風土をモンスーン(主としてアジア)、砂漠(主として西南アジア)、牧場(主としてヨーロッパ)に分けると共に、それぞれの風土がそこに住む人々の生み出す文化・思想にどのように影響を与えたかを考察した。

自然環境がそこに住む人間の考え方・行動に影響を与え、その結果として人間の生み出す文化や思想に影響を与えるという考え方は、環境決定論として存在している。しかしこれを極端に押し進めると、人間が住む地域の自然環境によって人間活動が決定される事になり、西欧で重んじられて来た人間の自由意志の否定にもつながりかねない。そのため欧米においては、極端な環境決定論は誤りであるとされている。

しかし、環境がそこに住む人間の考え方・行動形式に何らかの影響を与える事は、至極当然と考えられる。したがって、「銃・病原菌・鉄」はある意味で、環境決定論の立場から人間の1万3000年の歴史を概観したものと見なす事も可能である。ともかくも、現時点から過去の1万3000年の歴史を見た時に、環境が人間の歴史に及ぼした影響が極めて大きいということを指摘したという意味で、本書の持つ意義は大きいだろう。

この本を読んでいて持つ大きな疑問は、西洋社会対東洋社会の関係である。この本では、ヨーロッパ人が南北アメリカ、オーストラリアなどにおいて、そこの先住民を制圧してそこに入植したことについて、それがなぜ起こったかそして逆がなぜ起こらなかったかという疑問を提出している。そしてそれが、西欧において食料生産と家畜の飼育が(それは実は西南アジアから輸入したものであるが)極めて早く始まり、社会が部族社会から首長社会へそして国家へと他の国々に対して早く発展したことにその原因を求めている。そしてヨーロッパ人が南北アメリカやオーストラリアに進出した際に、現地の社会よりも進歩した社会システムを構築できていた事、そしてそれにより進んだ武器を持ち組織化された軍隊の存在がヨーロッパ人の勝利に結びついたのであると論じている。

それ自身は正しいであろう。しかし最大の謎はヨーロッパ対中国の関係であろう。中国は西南アジアに比較して1000年遅れているとはいえ、紀元前7500年以前には食料生産や家畜の飼育を始めている。ヨーロッパに西南アジアの食料生産や家畜飼育の情報が伝わったのは早くても紀元前6000年頃である事を考えると、その時点では中国の方がヨーロッパに比較してこれらの技術に関しては先行していたのである。

しかも社会システムの面から見ても、中国では極めて早い時期に部族社会から首長社会へそして国家へという進歩を遂げている。そして紀元前1世紀には秦という統一国家を誕生させている。ローマが紀元前3世紀にイタリア半島を統一したのとほぼ時期的にも大きな隔たりはない。さらに3世紀には中国に成立したモンゴル帝国西アジアに進出し、ロシア、東ヨーロッパを制圧した。この時点では、ヨーロッパの騎士団とモンゴルの騎馬軍団との戦いでは圧倒的にモンゴル軍団の方が勝利を握っているのである。

この本ではある意味で、ヨーロッパがなぜ全世界を制覇したのかという観点からその理由を、上記のような形で説明していると理解できるであろう。しかしながら、中国の持つ意味はあまり大きく取りあげられているとは言えない。全19章のうち、中国にそのうちの1章が割かれているとはいえ、そこに割かれているページ数はいかにも少ない。オーストラリアとニューギニアで起こった事の説明に割かれているページの1/2以下のページ数しか割かれていないのである。

そのため、この本がなぜヨーロッパが世界を制覇出来たかという観点で書かれたものと考えると、中国の取り扱いが不十分であると感じられるのである。これは次のように考えればいいのかもしれない。南北アメリカ、オーストラリア、アフリカ大陸などは、その一部にせよこれまでの歴史の中でヨーロッパ人は先住民を駆逐してそこに入植し定住する事に成功している。北アメリカ、オーストラリアは現在では白人の社会であり、先住民はごく少数が生き延びているに過ぎない。ところが中国は(そしてアジアの大部分も)、その一部を一時期植民地化したにせよ現地に入植し大規模なヨーロッパ人の社会さらには国家を作り上げるには至っていない。
これはつまり、ヨーロッパは中国を制圧するには至っていないと解釈した方が良いのである。ところがこの本では、あくまでヨーロッパ人が世界の各地に進出しいわば世界をヨーロッパ化して来たという観点から全体を記述しようとしているため、そしてその原因をヨーロッパ人が「銃、病原菌、鉄」を有していたことに帰せようとしているため、中国に対してはその論理が通用しないのではあるまいか。

(続く)