シンガポール通信ージャレド・ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」1

本書は、1997年に米国の生物学者ジャレド・ダイヤモンドによって書かれた本である。日本では、2000年に訳書がハードカバー本として出版された。その時も買い求めて読んだが、今回文庫本として再出版されたので、再び読んでみる事とした。私自身は、2000年当時は人類の歴史にそれほど興味を持っていたわけではなかったが、最近特にメディアの歴史の観点から人類の歴史に興味を持っているためである。この本はメディアの歴史について書かれた本ではないが、人間の歴史を数千年・数万年というスケールで考えるという視点を与えてくれるため、私にとっては興味深い。

私は、人間とメディアの関わりについて考えて行くうちに、西洋や中国の哲学の歴史、そして文字や印刷術の発明などが現在メディアの分野で生じている事と深く関わっているのではないかと考えるようになった。例えばこのブログでも何度も述べて来たが、哲学における西洋ではプラトン、東洋では孔子老子に始まる西洋二元論と東洋一元論の違いは、単なる形而上学的なレベルにとどまっているのではなくて、それ以降の西洋と東洋の人々の考え方、行動原理を深いレベルで律して来たと考えるようになった。

特に西洋における印刷術の発明は、それ以降の欧米の人々の理性優先の考え方を決定つけたと言っていいであろう。そしてそれは最近までの欧米の人々のメディアに対する接し方をも強く律して来たのではないだろうか。それは人と人の接し方、言い換えるとコミュニケーションの方法において、公(おおやけ)と私(わたくし)を峻別しようという考え方である。もっと具体的に言うと、公的な場や仕事の場ではプライベートな話は差し控えるという態度である。

ところがこれもまたこのブログで何度も述べて来たが、最近そのような欧米人の公と私を峻別する態度が怪しくなって来た。それの最も良い例が、会議やディナーなどの極めて公的な場でメールをチェックしたり送ったりという私的な行為をするという態度の変化である。会議やディナーなどの公的な場でメールの送受を行うという私的な行為を行う事は、公と私の行為が混在している事を示しており、これまでの欧米の倫理観に反しているのではないだろうか。それが公然と行われるようになったのはなぜだろうか。

公的な行為と私的な行為を分ける事は、別の言い方をすると理性的な行為と感情的な行為を分ける事を意味している。まさに、西洋二元論に基づく理性と感情の分離および理性を感情より上位に持ってこようとする考え方に基づくものなのである。それが公と私の混同が起こりつつあるという事は、これまで分離されていた理性的行動と感情的行動が混在し始めた事を示している。

このような欧米の人々の行為の変化に対して通常行われる説明は、最近のメディア、具体的にはスマートフォンやさらにはTwitterFacebookなどの出現がそれらの変化を引き起こしたというものである。しかしこれはたかだかここ10年以内の変化であって、そのような変化が何の下地もなしに10年程度で起こるだろうかという疑問を私は持っていた。

そのような観点からメデイァの歴史を見た時、100年以上前に行われた電話と映画の発明がそのような変化が始まる引き金を引いたのではないだろうか、というのが私の考えである。電話は感情の含まれた声による遠隔地間のコミュニケーションを可能にする。印刷術の発明によって、テキストによって書かれた論理的なメッセージによるコミュニケーションが、理性と感情の分離と理性の感情に対する優位性を一般の人々の間にも広げるのに成功したと考えると、19世紀末の電話の発明は再び感情に基づいたコミュニケーションを行う方向へ人々を引き戻し始めたのである。

同様の事は映画についても言える。映像は私達の理性に訴えるのではなくて感情に訴える力を持っている。印刷術の発明によって普及したテキストに基づいた理性的なメッセージを受けとる事に慣れていた欧米の人々が、映像の持つ力特にそれが感情に直接訴える力に出会う事により、彼等が持っていた理性有利の考え方が崩れ始めたのではなかろうか。もちろん映画それ以前にも絵画・彫刻のような視覚的なメッセージを送るものはあったのであるが、それはあくまで芸術という高次元のものであった。映画という日常生活レベルで感情に直接訴える力を持ったメディアに出会う事が欧米の人々の基本的な行動原理を変え始めたというのは十分考えられる事である。

さて前書きが長くなってしまった。ここで述べて来た事と「銃・病原菌・鉄」に書かれている事は全く関係ないではないかと読者は思われるかもしれない。次回以降、この「銃・病原菌・鉄」の内容と私が考えているメディアの歴史とが、どうか関わるのかを説明したい。

(続く)