シンガポール通信ー岩波文庫「大学・中庸」

「大学」「中庸」は、孔子に始まり孟子荀子と受け継がれていった儒学の中で重要な位置を占める文献である。儒学の流れを整理し、新儒学もしくは朱子学として大成させた朱子によって、「大学」と「中庸」は儒教の重要な四書とされ、「大学」「論語」「孟子」「中庸」と順に学んで行くのが正しい儒学の学び方であるとされていた。

「大学」はその意味では儒学への入門書のような役割を果たしている。そこでは、自分自身の修養をつみ、さらにそれを基本として天下国家を平和に統治すべきことが説かれている。「一身の修養」と「国家の統治」が一緒に説かれているところが儒学の特徴ともいえるところである。

「一身の修養」を説くのであればそれは哲学もしくは道徳である。それに対して「国家の統治」を説くのは政治学である。それが渾然一体となっているところに東洋的な考え方の特徴がある。西洋において「哲学」と「政治学」が厳然と区別されて来たのとは対照的である。

哲学は、人間とは何か、自分とは何かを問い掘り下げる学問である。もちろん自分と社会・政治は常に強く関わっている問題であり、それを無視することはできないが、哲学においてはそれはあくまで背景の問題とされ、まずは人間とは何かを掘り下げることを行う。そしてそれが西洋哲学の長い歴史である。

ところが東洋においては、当初から哲学と政治学の分離というのがあいまいであって、大半の東洋哲学者の考えにおいても常に人間と政治との関わりが議論される。このあたりにも西洋二元論と東洋一元論の違いが出ていると考えられる。

老子荘子によって説かれた老荘思想は自然と人間の調和を中心に説いており、政治学は含まれていないと言う反論もあるだろう。しかし老子を読んでいても「天下をいかに治めるか」という思想は繰り返し現れる。もちろんここでいう天下は国家とは異なるという考え方もあるだろうが、西洋的政治学とは異なるにせよ国を治めるという考え方は常に老子荘子の頭の中にあったのではないだろうか。

しかし西洋哲学もギリシャ時代までさかのぼると様子が異なってくる。このブログでも何度も取り上げたが、プラトンの哲学はある意味で儒学と共通点があると言える。プラトンソクラテスの哲学を引き継ぎ拡張して行ったと考えられるが、そこでは人間とは何か、どうあるべきかという問いと同時に、常にその結果として国家にどう貢献出来るかという問いが現れる。

その典型例が彼の書いた「国家」である。「国家」では理想的な国家とはどのようなものか、どう統治されるべきかという問いに対して答えるべく、仮想の国を対象としてその国の法律や統治法のあり方を論じたものである。人間はどうあるべきかという問いと、国家にどう貢献出来るかという問いは、儒学における「一身の修養」と「国家の統治」と驚くほど似ていないだろうか。

そういえばギリシャにおける都市国家の共存と対立の時代と中国における春秋・戦国時代は時代的にも近いし、そこで起こったことも良く似ていると言えるのではないだろうか。国家の盛衰が激しくそしてそれがそれぞれの国民に大きな影響を持っていた時代であれば、人間とは何かを掘り下げるだけではなく人間と国家との関係を常に意識する必要があったという言い方ができるかもしれない。

そして「中庸」は、いわば儒学の総まとめとして「一身の修養」と「国家の統治」を実現する際の重要な態度を説いている。中庸とは極端に走らず程よい中間を取って行くことを意味している。しかし現在では、中庸はどちらにもつかない、特によっては平凡な考え方や行動の仕方を意味することが多い。

しかし「中庸」で説かれているのは、そのような平凡な道徳ではない。「中庸」の最初に「天の命ずるをこれ性という。性にしたがうをこれ道という」という有名な言葉が現れる。これは人間本来の本性は天から与えられたものであり、そしてそれに従って行くことが道であるという意味である。これだけ読むとそれは東洋的な考え方のように聞こえるかもしれない。

しかしながら別の見方をすると、ここで説かれているのは、私たちは人間とは何かを深く追求しそして本来の人間のあり方に沿った生き方をしなければならないという、プラトン哲学的な考え方であるともいえる。ここにあるような、中国哲学ギリシャ哲学における類似性については、さらに考える必要があるのではないだろうか。

(続く)