シンガポール通信ー岩波文庫「大学・中庸」2

「中庸」の最初の文章である「天の命ずるをこれ性という、性にしたがうをこれ道という」というのは、なかなか含蓄のある文章である。これの意味するところは、「私達のそれぞれは天によって本性を与えられている、その本性に従って生きて行くのが人間としての道である」という意味である。

「大学」「論語」「孟子」が、哲学としての側面と同時に両親や国王にどうつかえるべきか、また政治をどう執り行うべきかという、道徳や政治学としての現実的な学問としての側面も備えているのに対し、「中庸」は現実的な学問というよりは、より高度な哲学さらには宗教的側面がより強く現れている。

ここに、儒学が時に「儒教」として宗教として取り扱われる根源の理由があるのだろう。例えばここでいう「天」とは何を意味しているのだろう。これは宇宙の根源的な存在であると考えていいだろう。そこにもし擬人的なものを感じるとしたら、それは神として理解される事になる。そしてそこに儒学が「儒教」という宗教として受け取られる下地ができるのであろう。

しかしまたそれは、宇宙の根源的な法則のようなものと理解する事も可能である。そのようにとらえると、儒学は哲学という位置付けを持つ事になる。哲学と宗教は全く異なる領域に属するのであるが、実はその境界は極めて微妙なもののようである。

いいかえると、「天」を理性的にとらえるとそれは法則のようなものであり、哲学につながる事になり、それを感情的にとらえるとそれは神のようなものになり、宗教につながる事になる。そのように考えると、西洋においてギリシャの昔から哲学が盛んであったのに対し、東洋では哲学があまり発達して来なかった理由が見えてくる。

いわゆる西洋二元論によって、西洋では理性と感情を分離して取り扱うべき事がギリシャ時代に明確に意識され、その後の長年の歴史の中でそのように取り扱われて来た。従ってすべての物事に対し、理性的に見ようとする側面と感情的にとらえようとする側面の2つの側面が存在する事になる。前者が哲学であり、後者が宗教ということになる。

ところが東洋においては、東洋一元論の故に理性と感情の分離という考え方は発達してこなかった。そのために、哲学と宗教は常に同居するということになったのではあるまいか。儒学儒教としての側面を持つのと同様に、仏教は宗教であるのと同時に哲学としての色彩が濃いのも、東洋的な哲学や宗教のあり方なのかもしれない。

そしてまたここで言われている「道」という言葉も興味深い。「道」は老子においてしばしば現れる言葉である。中庸でいう道と老子の道は同じものだろうか。中庸でいう道は「人の道」などという言葉に現れるように、人の行うべき行為、人が持つべき考え方のようなものであろう。それは人の生き方とでもいうべきものであり、日常生活における道徳といいかえてもいいだろう。

それに対して、老子のいう道は人間の行為を律するというだけではなく宇宙の万物が従うべき法則とでもいえるようなものである。それは別の言い方をすると「中庸」でいう天に相当する意味を持っているのではあるまいか。別の言い方をすると、中庸でいう「天」と「道」はカントが実践理性批判で述べている実践的法則と格律に相当すると言い換える事もできる。

いずれにしても「中庸」は、「論語」「孟子」で説かれて来た実学的な意味合いも持つ儒学の基本的な理念を取り出して簡潔にまとめたものと理解する事ができる。と同時に単なるまとめに終わらず、それを「天」「道」などの言葉を使って抽象化し、高度化し哲学さらには宗教へと高める意義を担っていると理解する事ができる。

そして「中庸」の後半ではもう1つ重要な言葉が現れる。それは「誠」である。この辺りになると私もまだ良く理解できているわけではないが、とりあえずは「天」「道」などがいわば外にあるのに対し、天から与えられた性に従って道を実践する際に自らのうちに必要なものとでも理解すれば良いだろうか。もしくは自分がめざすべき最高善とでもいったらいいだろうか。

これはギリシャ哲学的に解釈すると、プラトンの説く「徳」に相当するものいう事ができるかもしれない。また仏教的に理解すると、人がめざす最高の境地「悟り」に相当するということもできる。いずれにしても再度言うけれども、同じ概念を理性的に解釈するか感情的に解釈するかが、同じ概念に哲学的意味を与えたり宗教的意味を与えたりするのではないだろうか。