シンガポール通信ー岩波文庫「水滸伝」

水滸伝は、中国の北宋徽宗の時代(1100年代)の不安定な北宋の政治情勢を背景として起こった反乱を題材として作られた、長編小説もしくは伝奇小説である。「三国志演義」「西遊記」「金瓶梅」と並んで中国四大奇書の一つに数えられる。

岩波文庫で全十冊、なかなか長大な物語である。以前から暇を見つけては少しずつ読んでいたのであるが、やっと読み終えた。三国志演技、西遊記は既に読み終えているので、中国四大奇書で残るのは金瓶梅だけになった。これも読み始めており、一、二ヶ月内には読み終えたいと思っている。

これらの長編小説は、いずれも中国の一般庶民を対象にして彼等を楽しませるために作られたものであり、孔子にはじまる中国哲学と比較した場合、それほどの深さを期待する事はできない。しかしながら、中国の一般庶民の間でどのようなストーリー展開が好まれたのか、そしてそれは日本人の目から見てどうかなどの、興味深い疑問を提示してくれる。中国に代表される東洋とそしてそれに対峙する西洋の比較に興味を持っている私としては、目を通しておきたいと思っていた本の1つである。

長大ではあるが、ストーリーそのものは極めて単純である。宋江を首領とする百八人の豪傑達そしてその手下達が梁山泊に集結する様と、彼等が最初は北宋軍に対してそして後には北宋に対する反乱軍と戦う様子が描かれている。彼等は時の北宋皇帝やその政府の支配に従おうとはしないもの達、悪く言えば反乱軍でありもう少し軽い言い方をするとしたらアウトローである。

しかしながらそれは、時の政権を倒そうという意図を持った反乱分子というよりは、皇帝には忠誠を誓おうとしながらも、皇帝を取り巻く悪しき近臣達による圧政に反旗を翻し、世をただそうという意図を持った集団といえるだろう。時の政府の悪政・圧政をただしてくれるヒーローの出現はいつの時代にも庶民の願望であり、この物語もそのような庶民の願望が1つの物語に結実したものと考える事ができる。
似たような物語として、ロビンフッドの物語がある。ロビンフッドの物語は、イギリスのジョン王の圧政に反発したロビンフッドやその仲間達が、シャーウッドの森を根城としてジョン王の圧政に反抗した事を描いたものである。ジョン王の治世は1100年代後半から1200年代始めである。北宋徽宗の治世が1100年からの数十年間である事を考えると、約50年の差があるとはいえ、ほぼ同じ時代に同じような時代背景のもとで似たような物語が作り出された事になる。

水滸伝にせよロビンフッドの物語にせよ、それは基本的にはアウトロー達が集まり時の政権に反旗を翻す話ではある。しかしそれは、政権を倒そうとする意図を持ったものというよりは、時の皇帝や王さらにはその臣下達の圧政に対して反抗する事により、皇帝や王の目を覚まさせ圧政を止め善政に移るよう期待しての行動であったという点でも似ている。

したがって、彼等の行動は政権の転覆を狙っているのではなく時の皇帝や王の権力は認めながらも、その権力の間違った使用を正したいという庶民のささやかな願望を反映しているものと言えよう。それにしても洋の東西を問わず同じような時代に同じような物語が生まれているというのは大変興味深いものがある。

ところが、その結末という事になるとこの2つの物語はかなり異なってくる。ロビンフッドの物語の場合は、いくつかの挿話を集めたものであり特に具体的な結末があるわけではない。それに対して水滸伝の場合は、その前半は百八人の豪傑達が梁山泊に集まってくる様子をそのうちの際立った豪傑達に焦点をあてて描かれている。

これはロールプレイングゲームで言えばパーティを作る過程に相当する。もちろんそれは重要ではあるが、あくまで物語の導入部であり、それ以降の冒険が物語の主要な部分になる。ところが水滸伝の場合は全体が100の挿話(120の挿話からなるものもある)の集合となっているがそのうち約70の挿話が仲間達が集まってくる様子を記述するのに割かれている。

もっともその挿話の1つ1つが大変面白いので、それらの挿話を読んでいるだけで十分楽しめるが、梁山泊に豪傑達が集まった後の物語の展開の方に期待している読者がいるとしたら、しびれを切らしてしまうかもしれない。