シンガポール通信ーメディアの歴史と東洋文化の関係

メディアの歴史と現在おこっていることを東洋文化との関係から見てみると、マクルーハンの見方と関連しつつも、それとは異なった視点が現れて来て興味深い。今回はこのことについて少し考えてみよう。

まず、漢字という表意文字が代表的な文字として用いられて来たという点について、考えてみよう。西洋社会がギリシャ時代の頃から表音文字による表記法をとっていたのに対し、中国・日本を中心とした東洋社会においては、現在に至るまで表音文字が使われている。マクルーハンにいわせると、西洋の表音文字の使用が五感を用いて考え表現して来た人間の感覚のうち視覚を他の感覚から切り話して「活字人間」を作り出して来たということになる。

マクルーハン流の視覚を他の感覚から切り離すという表現よりは、私はそれまでの全感覚的人間に対して、ギリシャ時代にプラトンによって主張された理性と感情を分離することによる「理性人間」の発見が、西洋における人間のあるべき姿とされるようになったという言い方の方がわかりやすいのではと考えている。そしてそれ以降、理性対感情さらには心と身体という二元論がそれ以降西洋の基本的な考え方となっていることからも、そのように解釈した方が良いのではないだろうか。

それに対して、中国の孔子老子荘子などに端を発する東洋哲学では、理性と感情を分離するという考え方は生じていない。これをマクルーハン流にいうと、東洋では表音文字ではなく表意文字が使われて来たことがその原因になっているという解釈になる。

表音文字の使用が理性と感情の分離を促し、表意文字の使用は理性と感情を融合したままにとどめたか否かという点については、興味深い部分であるがもう少し深い考察が必要であろう。ただ、中国における印刷術の発明が、グーテンベルグの発明にさかのぼる11世紀もしくは13世紀に既に行われていたというのは、興味深い点である。

西洋に先駆けて活字を用いた印刷術の発明を行っておきながら、西洋におけるようにその後それが一般に普及するということは中国ではおこらなかった。これはなぜだろう。もちろん表意文字である漢字の種類が多すぎて、活字を用いた印刷術が優れた技術として認められ普及するまでに至らなかったというのは説得力のある説明であるが、果たしてそれだけだろうか。

漢字の種類が多い、すなわち必要とする活字の種類が多いということは当初から当然わかっていたはずであり、それにも関わらず便利であろうという観点から発明が行われたのではなかろうか。そうでなければ、印刷術の発明そのものが行われなかったといえるであろう。

そうすると、便利さを追求して行われた印刷術の発明が高く評価されなかったというのは、「便利さ」というものをあまり高く評価しないという東洋文化の基本的な考え方に基づいていると考えてもいいのではなかろうか。

マクルーハンの本にも引用してあるが、ある時、孔子の弟子の子貢が、農民が井戸から水を甕(かめ)にくみ入れて、せっせと畑にまいているのを見かけて「なぜ、はねつるべを利用しないのか」とたずねたところ、その農民が怒って「そのような技術は知っているが楽をして仕事をしても仕事の意味がなくなる」と答えたという逸話があるが、これなどは便利さを評価しない東洋的考え方の極致とでもいえるのではないだろうか。

別の説明の仕方をすると、言葉が言霊という力を持っているというのも、特に表音文字である漢字を使う文化に強く存在する考え方であろう。言霊を持っている漢字を軽々しく活字を使って大量印刷すべきではない、一文字一文字人の力をもって写していくべきであるという写経・写本という考え方も、東洋において広く信じられていたものなのかもしれない。

もちろん、西洋においても印刷術の出現前までは写本が盛んであり、そしてそれは主として僧院において行われたというのであるから、西洋においても言葉がある種の聖なる力を持っているという考え方はあったのであろう。

しかしながら、印刷術の発明が人々に受け入れられ広く普及し、結果として社会に大きな影響を与えたという背景には、このような技術を評価し受け入れる下地ができていたのである。そしてそれは、プラトンによって主張された理性の感情に対する優位性という考え方が、西洋の人々の間に広まっていたからであるといえるであろう。