シンガポール通信ーホットメディアとクールメディア:新しい分類法2

さてこの新しい分類法で、もう1つ指摘しておきたいことがある。それはこの没入型メディアか否かという分類法で、電話および会話というメデイアが、その内容がビジネス会話か雑談かで性格が変わってしまうという事実である。

多分これは、マクルーハンにとってもそしてまた彼の時代の人々にとっても、あまり意識に上らなかったことなのではないだろうか。特に電話というメディアに関しては、当時はまだ電話とは特別な用件やビジネス会話のためのメディアであるというのが、共通する認識だったのではあるまいか。

この本が書かれた1960年代前半は、米国での電話の世帯普及率はすでに全世帯の2/3以上に達していたが、まだ日本では半分に達していなかったようである。1960年代は私はまだ高校生であったが、私の家にも電話はなかったし私の回りの家でも電話のない家の方が多かった。高校で緊急時に各生徒のいる家庭に連絡を取る必要がある場合は、近所の電話のある家庭から呼んでもらうという悠長なことをしていた。(もっともそのような緊急時の連絡はほとんどなかったが。)

大学受験が近づき東京の大学の下見に行く際、東京の宿を予約するために東京までの遠距離通話をしたことがある。今から考えると考えられないことであるが、その時どうしたかというと、まずは近所の電話の置いてある家に電話を借りに出かけた。そこで交換手を呼び出し東京への遠距離電話を依頼したのであるが、回線が混んでいるのでしばらく待ってくれということであった。仕方がないので家に帰り電話を待っていたが、いつまでたっても電話局からかかってこない。やっと最後に近所の家の人から連絡があり、電話がかかって来たと言われたのは、なんとすでに3時間以上経ってからであった。

もちろん会社、商店などに電話があるのはごく普通のことだったので、業務用電話は見慣れていたし、それを使わせてもらって電話をするという体験は私自身も既に何度もしていた。しかしながら、家庭における電話の使用特に遠距離通信時の電話の使用状況というのはそのようなものであったのである。

当然米国などの先進国においても、電話の使用は主として業務用であったであろう。いわゆる若者を中心として雑談を長々とするという長電話の習慣はまだ生まれていなかった時代である。そのような時代に電話の使い方がビジネス以外の雑談にまで広がろうとはマクルーハンも想像出来なかったのではあるまいか。

それはマクルーハンだけではない。私自身は1970年代にNTTに入社してから通信メディアというものに関わるようになったのであるが、1970年代でも電話はビジネスのためのツールであるという意識は、NTTの技術者の大半が共有していたものだと思う。携帯電話の開発も、ビジネス会話を時間と場所に依存せず行えるようにしようという考え方のもとに進め足れたものである。(このことについては私の前著「技術が変えるコミュニケーションの未来」で詳しく論じている。)

そしてまた電話におけるビジネス会話と雑談との相違があることは、通常の会話においてもこの区別があることを意味している。現在の私たちは、このことを良く意識しているが、それは電話における通話内容のここ数十年における急激な変化のせいで意識するようになったと言えるだろう。

したがって、マクルーハンも会話をビジネス会話と雑談で区別するということはしていない。このあたりは、時代と共にメディアというものに対する私たちの意識が変わっているということを意味しているのだろう。前にテレビというメディアが誕生以来あまり性格が変わっていないこと、そしてそのことはマクルーハンの言う「メディアはメッセージである」という言葉の正しさを証明していると述べたが、電話というメディアに関しては最近数十年で性格が変わって来ているということが言えるのかもしれない。

それではマクルーハンのメデイア論は既に古くさい理論なのであろうか。私自身の意見ではそうとは決めつけられないと思っている。このことはまた稿を改めて論じることとしたいけれども、マクルーハンのメディア論には時代と共に見直さなければならない部分が多々あるにせよ、その根幹部分は現在でも正しい、そしてまたインターネットが現れてインターネット上のメディアが主流メディアとなっている現在に置いて再びメディアを論じる際にも多いに参考になる部分が多いというのが現時点での私の意見である。