シンガポール通信ー法然院にて

先週帰国している間に、旧知の羽尻さんが法然院の和尚さんとの対談の場を設定してくれた。というのは、羽尻さんがこれまで書きためていたエッセイを出版する予定で出版社と交渉中との事であるが、出版社から何か内容に関係する対談の内容を本の中に含めてほしいとの依頼があったためである。

お坊さんとの対談と言えば、かってチベットに学会の仕事で(もちろん観光も兼ねて)旅行した際、現地のお坊さんとワークショップを開催したことがあるが、それ以来である。日本の有名なお寺の和尚さんと言えば、一般の人々に講話をする事は多いだろうが、対談というのはそう簡単に引き受けてくれるわけではあるまい。羽尻さんの人脈の広さがわかるというものである。

もう一人対談に加わってもらったのは、大阪大学の金谷一郎先生である。金谷先生は、本来技術的なバックグラウンドを持ちながらも、デザインとかアートに興味とスキルがあり、技術とデザイン/アートの境界領域で活躍している先生である。

対談の内容は羽尻さんの本に入る事になるだろうから、詳しくはそちらが出るのを待って頂きたいが、政治・経済と宗教の関わり方、仏教とそれ以外の宗教の関係、そして日本における仏教の現状など広範囲にわたった。

もちろん対談の内容そのもの、特に我々の発言がどうしても知に流れてしまいがちなのに対し、どっしりと大地に根を下ろしたような法然院の和尚さんの発言は、私も含め羽尻さんや金谷先生の心にしみ込んだ。

そしてそれと同時に法然院の境内特にその庭園の美しさも私の心を打った。西洋的な美しさとは対照的な美しさ、そして中国の美ともまた異なった美しさを日本の庭園が持っているのは誰もが認めるところであるが、シンガポールのようないわばバブルに沸いている国から来ると、同じ東洋でありながら全く異なる文化に出会う感覚がする。


左が金谷先生、右が羽尻さん。



対談しているところ。まだまだ現世のチリにまみれている感がある。(金谷先生のFacebookの写真を使わせて頂いた。)
以下、法然院の境内と庭園の写真。説明不要。