シンガポール通信ーかわぐちかいじ「僕はビートルズ」2

ビートルズが大好きな4人組バンド「ファブフォー」が、ビートルズがデビューする直前の日本にタイムスリップし、ビートルズの曲を演奏する事により大人気を博し、英国進出を決意するところまで前回紹介した。

ところがそこからストーリーは急展開を見せる。ファブフォーの4人が後のビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインに会い、彼がファブフォーを気に入り自分がプロデュースして売り出す事をファブフォーのマネージャーの 卯月マキに持ちかけるが、ファブフォーに賭けている彼女が断る話が織り込まれている。この辺りまではストーリーとしてはよくできている。

ところがその後、ファブフォーがビートルズの4人組に会う辺りから、ストーリーに破綻が見られるようになる。このコミックのストーリーの少し前の部分で、ファブフォーが日本で大人気となり、その噂が世界を駆け巡り、デビュー前のビートルズがファブフォーの曲に衝撃を受けて自信を失う場面がでてくる。

これはさもありなんである。自分たちがこれから作ろうとしている作品を他の誰かが作って売り出してしまうということは、ある意味で自分のアイデンティティを誰かに盗まれるという事になる。そのような状況になれば、誰でもどうして良いかわからなくなるに違いない。

そのような状態に対してビートルズがどう対応するのかを描くのが、ある意味でこのようなSF的コミックの面白さなのではあるまいか。そうしてコミックを読んでいる方も、それに対する期待感を持って読み続けるのであろう。

ところが、ファブフォーが会ったビートルズの4人組は、自信を失った事などなかったようにオーラを放ち、ファブフォーの4人を魅了する。そして、両者が参加するコンサートでは、ファブフォーが大喝采を浴びた後(この辺り私もよくおぼえていないが、もしかしたらその前かもしれない)に登場したビートルズはファブフォーを期待している観衆からヤジを受ける。ところが演奏を始めると彼等の作った曲の魅力、演奏の魅力が人々をとらえてしまう。

これを見たファブフォーの4人は、ビートルズの曲をコピーして来た事を後悔し、記者会見で自分たちの曲が実はビートルズの曲である事を発表し(もちろん記者を始め人々は何の事かわからず理解できない)、グループを解散する事を表明する。

日本に帰国後グループを解散し引退した4人は、それぞれ音楽とは異なる別の道を歩む事となる。しかし年1回のみ自分たちだけでビートルズの演奏をするという行事だけは続けていく。そして48年後の2010年、ファブフォーのファンだった園田鹿之子がその事を知り、彼等が自分たちだけで行っている演奏の場に出かけ、4人と再会するところでストーリーは終わっている。

一見大団円のようにも思われる。しかし、一方でどうにも腑に落ちない感覚を読者は持たないだろうか。ビートルズに会ったファブフォーの4人がビートルズの4人が持つ魅力とオーラに圧倒される場面が出てくる。しかしそんなことは予想される事ではないか。ビートルズを知らなかった人ならばあり得るかもしれないが、もともとファブフォーの4人はビートルズの大ファンだったはずである。

ビートルズの4人そして彼等の作り出した曲の持つ圧倒的存在感の故に、ファブフォーの4人はビートルズのファンだったのではないか。その彼等がビートルズに会えば本物の持つ存在感に圧倒される事は当然知っているはずである。当然わかっているはずなのに、なぜビートルズに会ったというその事で、自分たちがビートルズの曲をコピーしていた事を発表し、解散する事を決意するのか。その辺が嘘くさい感覚を読者に与える。

もっというと、ビートルズ大好きのファブフォー4人組がビートルズがデビューする直前の日本にタイムスリップした時点で、ビートルズの曲を演奏する事自体が大きな矛盾を抱えているのではあるまいか。

コピーが本物を越える事ができない事は、ある意味で常識として誰でもわかる事である。本物が登場した後で彼等の曲をコピーすれば、だれでもそれがコピーとしてわかるから、コビーバンドとしての取り扱いをするわけである。

(まだ続く)