シンガポール通信ー志村一隆「明日のメディア」

前にも書いたけれども、現在、メディア・コミュニケーションに関する動向を書いた本を順に読んでいるところである。これらに関する私なりの考え方をまとめて本にしたいと考えており、そのためには他の人々がメディアやコミュニケーションに関してどのような考え方を持っているかを、ある程度は知っている必要があるためである。

とはいっても、研究所のマネジメントの仕事が忙しいので、なかなか読書の時間が取れない。夜9時過ぎに帰宅すると、疲れており読書をする気にもならない日も多い。ところがそのような場合でも、メールを見たりゲームをしたりするのはそれほどエネルギーもいらないので、どうしてもそちらの方の活動をすることになってしまう。なるほど読書というのもかなりのエネルギーを要する活動であることを実感した次第である。

この本は前回帰国した際に買い込んだ本の内の一冊であり、この週末に読んでみた。「明日のメディア」とはなかなかうまいネーミングである。今後メディアがどの方向に向かうのかは多くの人が興味を持っている事であろう。私自身もいわば明日のメディアを研究する研究所にいるわけであるから、このようなネーミングの本を見るとどうしても買い込んでしまう。

しかも本の帯に「新聞、テレビ退場後の覇者は誰か」という刺激的なキャッチコピーが踊っている。いかにも新聞やテレビは近未来には消滅する事が自明であるかのようなコピーである。

しかしながら、そのような期待を持って本を読むと失望させられる。この本では決して新聞・テレビが近い将来消滅するとは書いていないのである。著者は主として米国の動向を中心としてメディアの動向や今後の予測に関して書いている。

そこでは確かに新聞・テレビなどで流れていたコンテンツがどんどん無料化してインターネット上に流れるようになっている現状が語られている。しかしながら本来テレビコンテンツは、テレビが持っていた広告ビジネスモデルを用いて無料で配布されていたのである。

テレビ番組をインターネット上で配信して、スマートフォンiPadなどのタブレットで視聴できるようになったとしても、それはテレビ番組のプラットフォームがテレビ受像機だけではなくなったという意味であり、決してテレビ番組がすぐに消滅するという意味ではないだろう。

もっともYouTubeのような一般人がアップロードした映像がインターネット上に蓄積されると、現在のテレビ番組の多く特にバラエティ番組とかテレビドラマなどがどうなるかという議論はあるだろう。私の研究所でも学生などは暇な時にはYouTubeを見ているのが結構多い。彼等にとってはバラエティ番組などは興味がないのかもしれない。

そうするとスポーツ番組等のリアルタイム性と結果の不確実性により価値を持っている番組などが有料化しても生き残れる番組であるが、その他の番組の将来は不確実であるという議論も成り立つだろう。これは今後の動向を見守る必要があるだろう。

一方、新聞はどうなるか。欧米で老舗の新聞社が倒産したというニュースを聞くことがあるが、これもだからといって新聞がすぐに消滅することを示しているわけではない。第一、現在ネット上で流れているニュースの多くは、現在存在している新聞メディアが新聞用に取材したニュースの一部やダイジェスト化したものを流していることは、誰でも知っている事だろう。

これがインターネット上に多くの一般人がアップロードするニュースで置き換えられるというのは、すぐには起こりそうもない。やはり、新聞社が持っているニュースソースから得られるニュースを集める力、そしてそれ以上にそれを編集する力は、まだまだインターネット上のツイッタ—やフェースブック上で流れているニュースで置き換えられるものではないだろう。

そしてコミュニケーションはどうなるだろう。この本では、これまでコミュニケーションを司って来たのは通信会社であるが、その役割は今後ソーシアルネットワークなどのソーシアルメディアに移行して行くだろうと予想している。これは多分ソーシアルネットワークに関する本において支配的な意見であろう。しかし本当にそうなるだろうかというのが私の持っている疑問である。ともかくも、ソーシアルネットワークに関する他の本を少し読んだ上で、再び私の感想を書く事にしよう。