シンガポール通信ー小林啓倫「災害とソーシャルメディア」2

東北大震災の時に、公民館で孤立している施設の園長が出したメールが、息子を通してツイッターに流れ何度もリツイートされて猪瀬東京都副知事に届き、その結果消防庁のヘリが現地に飛んで救助されたというこの本の内容に関して、前回コメントした。

この内容に関して私が引っかかったことの1つが、前回も書いたがツイッターのような一般人のコミュニケーションが結局は権力とつながらないと現実の救助作業と繋がらないということである。これは、現在のSNが情報の共有に関して力を発揮出来ても、救助作業のような物理的な作業とのつながりはまだまだ不十分であることを示しているといえるだろう。

これは別に現在のSNが無力だといっているのではない。まだまだ未成熟であり、既存のメディア・組織・権力機構と併存して行く必要があることを示しているのである。

もう1つ引っかかったことは、この本にも書いてあるが、このツイートの内容が何十回、何百回もリツイート(転送)されて初めて猪瀬東京都副知事に届いたことである。しかもこれもこの本に書いてあるが、たまたま東京都に住む男性が副知事がツイッターにアカウントを開設していることを知っており、副知事にリツイートすることを思いついたからだというのである。

これはまさに「たまたま」このツイートが猪瀬副知事にリツイートされたおかげで救助作業が行われたことになる。権力機構の中にある人の中で、猪瀬副知事のようにツイッターにアカウントを開設していると言うような「開けた」人はまれであろう。(オバマ米大統領のようなまれな例外はあるが。)たまたま猪瀬副知事のような「開けた」人にメッセージが届けられたから救助作業に結びついたのであって、これは希有な例ではなかろうか。

ということは当然ではあるが、同様の内容の数百、数千あるいはそれ以上の救助を求めるメッセージが、SNの中を飛び交ったのではないかと想像される。そして残念ながらその大半は、実際の救助作業に結びつくことなく、単にSNの中をメッセージが飛び交うと言う現象に止まったのではなかろうか。もちろん、適切な救助活動がなされなかったために失われた人命も数多いのではないか。

そのような、失敗例がこの本で述べられていないというのはいかにも残念である。もちろん失敗例はなかなか情報として上がってこないのは事実である。例えば良くいわれるように、数多くのベンチャーが創業されるが、その大半は道半ばで挫折し会社清算という方法をとらざるを得ない(私がかって持っていた会社もその1つであるが)。しかしながらそのような失敗例は報道されず、極めて数少ない成功例のみが華々しく取り上げられる。

これは新聞・テレビなどのメディアの性格上仕方がないことかもしれない。しかしながら、同時にこれは、従来の新聞・テレビなどのメディアのビジネスモデルが、そのような価値観の上に成り立っていたということに過ぎないという言い方はできないだろうか。

ツイッターフェースブックなどのSNの価値観は、一部の特殊な人々の価値観をベースとしているのではなくて、社会を構成しているその他大多数の人々の価値観をベースとする方向に向かうべきなのではないだろうか。

この本やそして多くの他の本が新しいメディアを論じている。特にフェースブックツイッターなどのSNの持つ力を取り上げている本は多い。しかしいずれもつっこみが足りないように感じるのは私だけだろうか。

つっこみが足りないと言っているのは、一部の成功例だけを取り上げそれを分析することによって、新しいメディアが持っている力を過大評価していないだろうかということである。例えば一時期セカンドライフ(SL)がもてはやされていたことがあった。

現在セカンドライフの話題が取り上げられることはほとんどない。私自身も大学時代の自分の研究室のコピーをセカンドライフ内に持っていたが、これもとっくの昔に引き払った。しかし、なぜセカンドライフがうまく行かなかったのかについての分析はなされているのだろうか。

成功例を取り上げてなぜそれが成功したかをいうことは易しい。しかし将来のメディアを論じるとき、失敗例から学ぶことがもっと重要な気がするのだけれども。