シンガポール通信ー小林啓倫「災害とソーシャルメディア」

現在、メディアやコミュニケーションに関する本をまとめて読んでいる。これらに関して現在考えていることをまとめて本に出来たらというのがその動機である。

メディアやコミュニケーションに関して論じるとき、ツイッターフェースブックなどのいわゆるソーシアルネットワーク(SN)は新しいメディアとして大変重要な位置を占めるだろう。特に、昨年の東北大震災でこれらのSNが救援・復旧活動において大きな役割を果たしたといわれているからには、なおさらである。

というわけで、まず手に取ってみたのがこの本である。他にも震災とメディアに関して論じている本は多いが、新書判であり震災においてSNがどのような働きをしたのかを知るには手頃だろうということから読んでみた。

読んでみた感想を最初にいっておくと、「SNが従来のマスメディアなどとは異なる情報の伝達・拡散機能を持っており、震災などの非常時における現地の情報を伝えるには適した面も持っているが、しかし現時点ではまだまだ未成熟なメディアであり、今後どの方向に進化するかが重要である」といえるだろう。

災害時にSNが従来のメディアが果たせなかった役割を果たしたことは確かであり、新聞・テレビなどの従来メディアも認めている。デマがSNを通して流れたなどの欠点はあるものの、その利点を強調して描こうというのがこの本の著者が狙ったことであろう。また、同様の論点から論じた著書は多いだろう。

そのこと自体は正しいだろう。しかし読んでみて感じることは、災害時にSNが大きな役割を果たしたというこの本の内容が、結局は個別の成功事例を羅列したものになっていないだろうかということである。成功事例の羅列は重要であろう。しかし、同時に失敗事例も羅列し、これらを比較することによってSNの革新性を論じるというのが、本来の書き方ではあるまいか。

その端的な例が、この本のイントロというべき最初の「プロローグ」の内容である。ここでは、東北大震災の時に孤立した公民館で助けをまっている施設の園長の女性が、ロンドンの息子に援助を依頼するメールを送り、それを息子がツイッターに「拡散願い」を付けて流したことが書いてある。そして、そのツイートがなんどもリツイート(転送)され、最後に東京都の猪瀬副知事に届き、副知事が東京消防庁防災部に指示して東京消防庁の大型ヘリが現地に向かい、公民館で助けを待っていた人たちが救助されたというものである。

これは一見SNが人々を実際に救うのに役に立ったという美談のように聞こえるし、著者も本文中で何度かSNの力を示す例としてこれを引用している。しかしこれは本当に美談だろうか。

私がこれを読んで感じたのは、ここに書かれていることは、昔例えば江戸時代に庶民が自分たちでは解決出来ない問題にぶつかった時に、将軍や江戸奉行の行列の前に飛び出し直訴して解決してもらったというのと良く似ていないだろうかという感覚である。

そのような話は、時には美談として語られることもあるだろう。しかし同時にそれは、時の幕府が人々の生活における問題を正しく把握出来ていなかったことを揶揄する例としても語られて来たのではないだろうか。

上記の例の場合に戻ろう。私がこれを読んで引っかかったのは以下のような点である。まず1つは、結局最後の具体的な救助作業は、いわゆる政府・東京都・消防庁警察庁などの、人々が時として「権力」と呼ぶところの力を借りないと行えないのではないかということである。

SNで広まった情報により人々が立ち上がり、連帯して公民館で孤立している人々を救助したというのなら、それは確かにSNが人々を結びつける新しい力を持っていると言えるだろう。しかし結局のところ、災害時のような非常事態に対処するには人々の力だけでは不十分なのである。

政府や会社などの従来からのピラミッド型・垂直統合型の組織の弊害は何度も指摘され、それに対するSNなどの水平結合型の組織の新しさが強調されるけれども、それは現時点では従来型の組織に取って代わるだけの力を持っているものではないのである。

(続く)