シンガポール通信ー岩波新書「メディアと日本人」2

さてもう一度この本の内容をまとめてみよう。この本に書いてあるのは以下のような事である。

1.インターネットの普及に伴いインターネットの使用時間が増えている。これは若年層に限るわけではなく、すべての層で増加の傾向が見られる。むしろ、携帯電話によるインターネットの使用時間に関しては10代では既に十分な時間をかけており、頭打ちの傾向が見られる。

2.インターネットの使用時間増加に伴い、他のメディアすなわち、テレビ・新聞・書籍などは大なり小なり影響を受けており、使用時間が減少している。

3.しかしながら個別に見ると、それぞれのメディアが受ける影響は異なっている。例えばテレビに関して言うと、テレビを見る時間は減ったもののテレビを見るという行為(つまりスイッチを入れてテレビを見るという行為そのもの)が減っているわけではない。

4.世の中の出来事をいち早く見るメディア、世の中の出来事に関して信頼できるニュースを提供できるメディアとしてのテレビの地位は、まだまだインターネットの及ぶところではない。

5.書籍発行部数や売り上げ総額も減少傾向にある。しかしながら、マンガや雑誌を除いた読書時間に関しては顕著な減少が見られるわけではない。

6.一方で、雑誌を読む時間に関しては顕著な減少傾向が見られる。特に10代〜30代の人たちの減少傾向がめだつ。これはすなわち、若年層が雑誌を見るという行為を、携帯などの使用の方にシフトしている事を示している。

7.新聞を読むのに費やす時間も減少傾向が著しい。そしてこれは各年代に共通している減少である。すなわち、新聞でニュースを見るという行為がインターネットでニュースを見るという行為に置き換えられている事を示している。

ある意味で予想されたことではあるまいか。むしろ、インターネットに使用する時間が増加した事が他のメディアにもっと大きな影響を及ぼしているかと思っていたが、それほどでもないという言い方もできる。

これは私たちの周囲を見渡しても容易に観察できる事である。かっては電車やバスを待つ時間、電車やバスの中で過ごす時間の多くを人々ぼんやりといろいろな事を考えながら過ごしたり、新聞や書籍を読みながら過ごしたものである。

ところが現在では、多くの人がこれらの時間を携帯やスマートフォンを見ながら過ごしている。以前だとメールの読み書きをするのが大半であったが、現在では種々のアプリケーションが開発されたので、ゲームをしたりイベント情報を見たりレストランを探したりと、携帯が時間つぶしとしては格好のガジェットとなっている。

つまり、テレビを見ていた時間が携帯を使ったインターネットアクセスの時間にとられたのではなくて、人々が無為に過ごしていた時間を携帯を使ったエンタテインメントに使っているという事なのである。このように書くと、あたかも携帯の普及が無為に過ごしていた時間を有為に過ごす事になった事になり、携帯が人々のライフスタイルをよりよい方向に変えている事を賞賛しているように見えるかもしれない。

しかし本当にそうだろうか。「ぼんやりといろいろな事を考えながら過ごす」という時間を無為に過ごすやり方は、時間の無駄なのだろうか。もしかしたらそうではないのではなかろうか。

意識的には無為に過ごしているようでも、視覚や聴覚からは種々の情報が入ってくる。そしてある意味で無意識下のこれらの情報を処理する事により、周囲の変化(例えば天候の変化)などに対する感受性が無意識に育てられているのではないだろうか。

そういえば、シンガポールではバスに乗っていてもぼんやりと窓の外を見ている人は少なくて、大半の人がスマートフォンを見ている。このことと、先に書いたシンガポール人が天候の変化に対する感受性が薄いという事実とが、関係している可能性があるのではないだろうか。