シンガポール通信—スティーブ・ジョブス3

スティーブ・ジョブスの話題が続くけれども、歴史、特に技術史には必ず残る人物であるだろうから、もう少しこの本の読んだ感想を書いておきたい。

もう1つ重要なのはアップルにおける製品開発の姿勢としての垂直統合方式(クローズドポリシー)と、それに対しての水平分散方式(もしくはオープンポリシー)があげられるだろう。

垂直統合方式は製品のコンセプトから基本設計、詳細設計、プロトタイプ開発までをソフト面もハード面も含めてすべて自社で行おうという方式である。アップルのマッキントッシュや、iPhoneiPadなどはアップルが製品の全体に関して責任を持ち作り上げたものであり、基本的にはそれだけで完璧に動作する。

これに対して、例えばマイクロソフトWindowsというPC用OCを開発しているだけで、それをハードに載せてWindowsパソコンとしての製品に仕上げるのはハードメーカーの仕事である。最近のアンドロイドOSも同様の考え方に立っている。特にアンドロイドは仕様の詳細も公開しており、ハードメーカーが自社用に変更する事も可能であるし、ソフトメーカーがアンドロイド向けのソフトを開発する事も容易である。

パソコンの世界ではオープンポリシーが最近の主流と言っていいであろう。パソコンのようなソフトとハードから構成されている複雑な製品を1社で作り上げるというのは困難な仕事である。従って自社の得意とする分野に集中してソフト・ハードを作り、その結果をオープンに他社に公開する事により、他社の製品と組み合わせてもらったり、また内部詳細もオープンにする事により他人がそれを改良する事を可能にする事により、よりよいものにして行こうという戦略である。

オープンポリシーはそして特に内部詳細をも公開するオープンソースポリシーはある意味で他人を信用する考え方に基づいており、いわば性善説に基づいているといっていいだろう。その意味ではオープンポリシーは理想主義であって、理想論として本来は望ましい方式である。

しかし、それはこれまで困難であろうと言われて来たのであるが、たとえばUNIXの成功や最近の例で言えばWikipediaの成功により、大規模なレベルで実現可能であることが実証されたと言っても良いだろう。そのためビル・ゲイツを始めとして、多くの企業人がオープンポリシーを支持するようになった。もちろん、本気で支持しているのか、ビジネス上やむを得ず支持しているのかは、会社によって違うだろうが。

それに対してアップルに代表されるクローズドポリシーは、いわば他人を信用していないわけで、性悪説に基づいているといっていいかもしれない。性悪説は言い過ぎであるが、「皆でよってたかって作っても良いものは作れない、一つの会社、一人の人間が全体を取り仕切らないとだめである」という考え方が基本にあると言っていいだろう。

別の言い方をすると、「自分にしか良いものは作れない」「自分がナンバーワンである」という信念にもとづいている。これが良いものを作ろうという信念を支えているうちは良いけれども、悪くすると「他人はバカであって自分にしかできない」「消費者はバカで自分が欲しいものがわからないから自分が提供してやる」という態度に結びつきやすい。

ジョブスの場合も、しばしば他社の製品をけなしたり、自社の開発途上の製品でも自分の気に入らないと、ぼろくそにけなしてプロジェクトをストップしてしまうという行為を行う場面がこの本の中でもしばしば出てくる。

それでも彼を憎めないのは、彼が他の場面では純粋・純真で子供のような振る舞いをすることによっているだろう。そしてまた、彼がガンに冒され死と常に向き合わなければならなくなった事も、大きく影響している事は間違いない。成功の絶頂期とがんの進行が同時であったという点でも、彼の人生は劇的なものであったといえるだろう。