シンガポール通信ー文化とコンピュータの国際会議3

いずれの国際会議でも、レセプションやバンケット(宴会の意味)が重要なイベントになっている。文化とコンピュータの国際会議でも同様に、レセプションやバンケットには力が入っていた。文化とコンピュータの国際会議の最後の話題として、レセプションとバンケットの話を。

レセプションやバンケットはいずれも飲み食いする場であって、参加者の懇親の場として用意されている。国際会議は論文発表が主な目的であるべきで、飲み食いする場にはあまり力を入れる必要なない、いやもっと言うと入れるべきではないという意見を時々聞く。

それは確かに論理的にはその通りである。ネットワーク時代には、通常からネットワークを通して意見の交流・共有を図る事は可能である。なにもわざわざ飲み食いの場を用意しなくてもいいではないかという意見は、正論のように聞こえる。

この議論を延長すると、国際会議そのものの必要性もネットワーク時代には低下しているのではないかという議論にもなる。事実、すでに論文の投稿や査読はすべてネットワーク上で行われている。そうなると論文の発表やそれに対する議論もネット上で行えば良いのでは良ないかということにもなる。

事実、Second Lifeを使えば論文発表の場を模擬することも可能である。またFacebookを使えば、テキストだけによる議論とはいえ、それぞれの論文に対して意見を交換する事も可能になる。しかし、私の前書でも書いたけれども、国際会議の数は減るどころかますます増加している。また、国際会議におけるレセプションやバンケットの重要性も増しているようである。

国際会議にかかる費用は、場所代・論文集代に加え、レセプション・バンケットの費用が主たるものである。そしてレセプション・バンケットの費用、いいかえれば飲み食い代は国際会議全体の費用の大きな部分(1/3もしくはそれ以上)を占めている。私も、3月にシンガポールで行った国際会議で最も気を使ったのは、レセプション・バンケットでどの程度の料理や酒を用意するか、そして参加者を喜ばせるどのようなイベントを用意するかであった。

つまり国際会議は、世界中のある分野の研究者が顔を突き合わせて議論したり、一緒に飲み食いしながら親交を深めるために開催されるのである。なんだかネットワーク時代に逆行するようであるが、このあたりが人間の行動の面白いところではないだろうか。人々は、実空間における顔を合わせたコミュニケーションの形式と、ネットワークを通したいわゆる仮想空間におけるコミュニケーションを、巧妙に使い分けているのである。


初日のレセプションにおける情報学研究科科長の中村先生による挨拶。



レセプションの出し物として鏡割りを行った。日本ではそれほど頻繁に行われる行事ではないけれども、海外からの参加者には好評なので日本での国際会議のイベントとして行われる事が多い。これは鏡割りの後、土佐先生が参加者に酒を振る舞っているところ。



会議の二日目の夕方にはバンケットが京都の料亭「がんこ」の本店で行われた。がんこは高級料亭というよりは庶民的な料亭であるが、本店には長い歴史を持つ庭園があったりするため、海外からの参加者には喜ばれる。イベントの1つとして舞妓さんを呼んで祇園小唄を踊ってもらった。私や京都からの参加者は「また祇園小唄か」とちょっと食傷気味のところもあるが、京都ならではのイベントといえるだろう。



MITの宮川先生も舞妓さんから名刺をもらってご満悦。



といいながら私も友人のMatthias Rauterberg教授と一緒に舞妓さんとぱちり。