シンガポール通信ーオンライン麻雀

いつの頃からか確実なこと忘れたけれども、オンライン麻雀をたしなむようになった。もう10年近くになるのかもしれない。出張とか会食などで夕方の日程が詰まっていない限り、毎日の仕事が一段落し少しリラックスしたくなる午後7時か8時頃に週何回かはオンライン麻雀を始めるのが習慣のようになっている。

通常は1、2時間で止めるのであるが、時にははまってしまい、気がつくと12時近くになっていることがある。もっとも今ではさすがにその程度が限度であるが、始めた当時は面白くて深夜の3時、4時までプレイすることもよくあった。

オンライン麻雀は、当然のことながら金は賭けない。代わりに自分の強さを数値化したレベルが各自に割り当てられ、レベルが勝ち負けに応じて増えたり減ったりする。金を賭けないのに単なる数値の増減のために勝負をしてなにが面白いのかと当初は思ったが、これがなかなか面白いのである。

金や物を賭けないので、オンライン麻雀は賭博(ギャンブル)とは言わないだろう。単なるゲームと呼ぶべきであろうが、それでもおもしろいということは、ゲームとギャンブルの境界はどこにあるかという興味深い問題を提案してくれることにもなる。

オンライン麻雀ゲームをコントロールするプログラムそのものをプログラミングすることはそれほど難しいことではないだろう。基本的には牌の並びをランダムに設定してしまえば後は人間のプレイヤーがゲームを進めてくれるので、コンピュータが行うのは点数の計算や、ポンやチーが正しく行われているかどうかのチェックなどであり、チェスや将棋のプログラミングに比較すると格段に易しいと言っていいだろう。

麻雀のプレイヤーをプログラミングすることもそれほど難しいことではないだろう。迷彩を施すなどの難しいことをしなければ、単に牌をそろえて聴牌に持って行きあがりをめざすプログラムを作るのはそれほど難しいことではない。
オンライン麻雀の相手は基本的には人間のはずであるが、上のように考えると人間の代わりにコンピュータプログラムのプレイヤーが混じっていても不思議ではない。その気になってプレイ時に注意していると、どうもグログラムではないかと思わせるようなプレイをする相手と対戦することがある。

ところがこの考え方をもっと進めると、オンライン麻雀のゲームそのものをコンピュータがコントロールすることが可能になる。考えてみれば、コンピュータ側からするとプレイヤーすべての手を見ることが可能である。リーチしているプレイヤーの当たり牌もわかるわけであるから、たとえばこちらがリーチしていても対戦相手がコンピュータプログラムであれば振り込まないようにすることが可能である。

もっというと、牌はプレイヤーから見えないのであるから、あらかじめ並べておく必要はなくてコンピュータが状況を見ながら適当にプレイヤーのツモ牌に割り当てることが可能なのである。例えばAとBという二人のプレイヤーがリーチをかけているとすると、コンピュータはそのどちらがツモ上がりをするか、もしくはいずれが他方に振り込むかを自由のコントロールできるのである。

そこまでコントロールすると、もうそれは麻雀というゲームではなくなってしまう。しかし、オンライン麻雀をしていると、そう思わせるような場面にしばしば出くわす。例えば、一発ツモ上がりが異常に多いということが指摘できる。もちろん通常の麻雀でも一発ツモ上がりはしばしば生じるが、オンライン麻雀ではそれが異常に多いのである。

もう1つは同様に一発振込が極めて多いことである。相手がリーチした時に直後の自分のツモが相手に一発であたる当たり牌であることが、これも異常に多い。明らかにコントロールされていると思うことが多い。これの度が過ぎるとプレイしている方からすると面白さが半減してしまうことになる。

オンライン麻雀には東風荘とか天鳳とか数多くのサイトがあるが、どうも東風荘をプレイしているとこのようなコントロールされている感を感じることが多い。かって東風荘は常時数千人の人が参加している巨大なオンライン雀荘であったが、徐々に人口が減って行っており現在は一度に参加している人数は千人以下である場合が多いようである。

本当に上記のようなコントロールがされているかどうかはわからないが、このように参加者の数が減っているのは、少なくともプレイヤーがそのように感じているからではないだろうか。プレイヤーは、人間同士で実際に麻雀をやっている時に似た感覚をオンライン麻雀に求めているのではないだろうか。