シンガポール通信ー京都大学サマーデザインスクール

先週京都大学で開催された「京都大学サマーデザインスクール」に、講師として参加してきた。これは、京都大学の情報学研究科・工学研究科・経営管理大学院などが、先行の枠を超えて学生達の問題解決に対する実践力を養うためのデザインスクールである。

ここでいうデザインは、車のデザイン、服のデザインといった狭い意味のデザインではなく、街のデザイン、コミュニティのデザインといったより広いデザインを意味している。このデザインスクールの目的は、社会のありかたや社会における実際の問題を取り上げ、学生達と講師の議論とを通して、それらの問題点をクリアにしたり問題解決案を提案しようというものである。

これまで日本の大学では、講義型の授業が教育の基本的な方法として用いられて来た。それに対して、具体的な問題を学生達がチームでの議論を通して解決を図るというこの方式は、ワークショップ型授業とかプロジェクト型授業と呼ばれ、欧米ではだいぶ前から積極的に採用されて来た方式である。

私のNUSでも最近工学部で「デザインシンキング」と称して、種々の技術的な問題を学生達がチーム形式で解決を図る教育方式が取り入れられた。その意味では、欧米の新しい教育方式をアジアの国々でも取り入れ始めたという言い方をしても良いかもしれない。

欧米の方式を何でも取り入れるのがいいわけではないが、講師の授業を一方的に聞くだけの受け身の授業が多かった日本の大学では新しい試みといえるだろう。私自身も大学時代の講義型の授業では退屈で眠ってしまった経験が多いだけに、この試みは評価していいと思っている。

さて実際にこのデザインスクールでは、約100名の学生を20程度のテーマごとのグループに分けて、それぞれの課題を議論した。具体的には、京都市の街作りや震災への対応策などが議論された。私の属するグループでは土佐先生の提案した「日本文化をデザインする」というテーマに沿って議論を行った。

日本文化は多岐にわたるため、「日本文化をデザインする」はとりつきにくいテーマであるが、5名の参加者が2つのグループにわかれ、日本文化の表面に現れたもの(見えるもの)とその根底にある日本の精神(見えないもの)との関係を見つけることにより、日本文化を理解しようとする試みを行った。

実質2日間のスケジュールでは十分に議論がつくされたわけではないが、自然界のすべてのものに精霊が宿っているという日本古来の考え方と、最近のアニメ、マンガ、さらには「工場萌え」などといわれる若者の好みがどうつながるかという事に関し、なかなか面白い議論ができたと思う。幸いな事に最後の発表会で、20のグループの内で私たちのグループはベスト5に入る事ができた。


情報学研究科田中先生の挨拶。



学生達の議論の様子。右は土佐先生。左手前は京都の古美術修復の専門家である宇佐見さん。宇佐見さんの古美術修復の話を通して日本文化の核となるものを理解しようというわけである。



京都の企業の人たちも興味津々でひんぱんに見学にやってくる。



合間に記念写真。