シンガポール通信ー板倉文忠先生の来訪

8月に2度板倉文忠先生が私の研究所を訪問された。インドの大学で客員教授として滞在される行き帰りに寄って下さった。

板倉先生は、私が1971年に大学の修士課程を修了して武蔵野にあるNTTの基礎研究所に入所してから、横須賀にある応用研究関係の研究所に異動になるまでの9年間、ご一緒させて頂いた。

板倉先生は、音声の研究者であれば世界中の誰もが知っている有名人である。音声の符号化法の専門家で、線形予測符号化(Linear Predictive Coding: LPC)という音声信号を、効率よく圧縮してパラメータ化する方法を1966年に提唱された。

異なるアプローチの手法がいくつかほぼ同じ時期に発表されたが、後に数学的にはいずれも同等であり、かつ板倉先生が最も早く提唱されたことが明らかになった。

音声信号というのはなかなか取り扱いが難しくて、それを効率よく情報量を圧縮する方法の出願が期待されていたのであるが、それ以前は効率的な符号化法がなかったという状況であった。

LPCは、喉にある声帯を震わせて生成されたブザー状の音を、ちょうどラッパに相当する口の空間を通す事によって音声に変えるという、人間の音声の生成方式を実にうまくモデル化して、極めて効率良く少ない情報量の符号に変換する手法である。

1970年頃から世界中の音声研究者の間で音声分析、音声符号化、音声認識音声合成などに広く使われ、現在でも音声認識では標準的な方法としてほぼすべての研究で使われている。

前のブログでも少し書いたが、当時のNTT基礎研究所の音声グループは、米国AT&Tのベル研の音声グループと世界のトップを争う研究グループであった。板倉先生は、ベル研の音声グループに対抗するNTTの音声グループのいわば看板研究者として、研究を推進されていた。

板倉先生はそのような「偉い先生」であるにも関わらず、非常に気さくな人柄であり、かついろいろな研究に興味を持ち、他の研究者の研究にもいろいろとアドバイスされていた。

私が大学時代に行っていた研究を研究室に入ってしばらくしてから皆の前で発表したのであるが、そのパーコレーション理論と行列理論の研究の内容を鮮明におぼえておられ、その後も私に関わる話の際にはそれを必ず持ち出して、興味深い研究だとおっしゃってくださった。ある意味私を鼓舞して頂いたのだと思う。

これも前のブログに書いたが、当時の私は、画像処理のようないわば派手な研究をしたいと考えていたのに音声研究のようないわば地味な研究を割り当てられ、少々くさっていた。そして自信も失いかけており、学会などの出席もサボったりしていた私にとって、この板倉先生の言葉は本当に励みになった。私がNTTの研究所での研究生活を継続する事ができた理由の1つが、この板倉先生の励ましであった事は間違いない。

その後私が横須賀にある応用研究関連の研究所に異動してしばらくしてから、板倉先生はNTTの研究所を辞めて名古屋大学に移られた。当時の部長とそりが合わなかったとからというような話を噂で聞いた。

それにも増して私にとってショックだったのは、板倉先生が辞めても誰もそれに同調して辞めようという研究者が出なかった事である。板倉先生の研究に憧れて音声グループに入ったという研究者が多かっただけに、板倉先生が辞めるのであれば一緒に辞めるといういわば「殉死」をする研究者が出なかった事は私を少々失望させたものである。

今から思えば、板倉先生に憧れて音声グループに入ったといってもそのような研究者に「殉死」を要求するというのは少々酷であろう。しかし当時の私はまだ若かったし、学生紛争を経験した世代として、研究の世界というものは純粋なものであるべきであるという考えを持っていたのである。


板倉先生と一緒に記念写真。世界的な研究者とツーショットの記念写真がとれるとは光栄である。