シンガポール通信ーネットワークは表社会を変える力を持っているか

(しばらく忙しくてブログの更新をしておりませんでした。申し訳ありません。合間を見つけて再開します。)

前回まではネットワーク社会の定義について考え、ネットワーク社会とは、構成員が常にネットワークを介してつながり、情報の交換と共有を行っている社会であると定義した。またそのような定義からすると、実はギリシャ都市国家は現在のネットワーク社会に非常に似ているということも指摘した。ただし現在の社会が電子的なネットワークでつながれているのに対し、ギリシャ時代の都市国家はあくまで人間関係というネットワークでつながれていた訳であるけれども。

むしろ、情報の交換と共有だけではなくて政治的なものも含んだ議論や決定がネットワーク上でなされるという意味では、ギリシャ都市国家の方がより完全なネットワーク社会であった訳である。現在のネットワーク社会は、ある意味で表の社会に対する裏の社会であり、その中で国会におけるような決定がなされる訳ではない。

しかしながら、裏社会であるネットワーク社会での情報の流通に伴って形成されるコンセンサスは、表の社会に影響を与え始めている。つい最近の中国における高速鉄道の事故の顛末を見ているとその感が強い。

私たちは事故車両を破壊し埋めてしまうと言う乱暴な後処理、もっというと臭いものにふた的な証拠隠滅の手法をみてあきれかえってしまうが、中国ではこれまでそれがごく普通の事故や事件の後処理の方法として使われていたのだろう。中国の人たちもお上のすることだからと受け入れていたのではあるまいか。

それがネットを通してその映像が国外をも含めて流通し、けしからんじゃないかという意見がネット上で飛び交うようになって始めて、中国の人たちもそういえば確かにおかしいということで、反対意見を表明するようになったというのが実際のところではないだろうか。

いやむしろ鉄道省自身も、これまでそれが当たり前の処理方法であったので、何の疑いもなく実施したのであろう。ところがネットを通して猛反対の意見が出て始めて、自分たちが行って来たことが世界の常識に反することを自覚したのではあるまいか。これは、ネットによる情報の流通と共有が、中国における表の社会での常識を揺り動かした例と考えることが出来るだろう。

最近の中東における人々の民主化を求める動きもそうであろう。エジプトに端を発した民主化運動を支えるものとして、TwitterFacebookを通しての人々の間での情報の流通と共有、そしてそれに止まらずコンセンサスの生成があることは間違いない。

しかし現時点ではネットワークの持つ力の影響力がまだまだ限られたものであることは十分認識しておく必要があるだろう。この民主化運動の初期にマスコミが、あたかもこの民主化運動を引き起こしたものがTwitterFacebookなどのネットワーク上のコミュニケーションメディアであるかのように喧伝したことをおぼえておられる人も多いだろう。

しかしそれはネットワークの力を誇大評価したものである。前にも書いたけれども、既に民主化を求める気持ちが人々の心の中で十分なレベルに達していたからこそ、ネットワークを通してそのような気持ちが人々の間で共有されそして実際の行動に結びついたのである。ネットワークは情報の流通と共有を加速化したのであって、けっして人々の民主化を求める動きそのものを創りだした訳ではない。

そしてそのネットワークの持つ裏社会の力は表社会の力を凌駕するには至っていないことも明らかである。確かにエジプトではそれは指導者を引き下ろすという成果に結びついた。しかし例えばリビアでは、現在政府側と反政府側の闘争は硬直状態になっている。表の社会の指導者(リビアの場合はカダフィ大佐)が現体制を維持するという強固な姿勢を保っている限りは、なかなかこの硬直状態は変わらないだろう。つまり表のピラミッド社会はまだまだ強い力を有している訳である。

そして何よりも私が注目するのはマスコミの報道姿勢である。当初はあれほどこれらの民主化運動とその底にあるネットワークの力に対して好意的な報道をしておきながら、例えばリビアの状況が硬直状態に落ち入ると、たちまち興味を失ってしまい報道もまばらになる。本来マスコミというものはそのようなものなのかもしれないが。