シンガポール通信ー恩師を偲ぶ会

先週末帰国した際に、東京で行われた恩師を偲ぶ会に出席した。この会は、私がNTTの基礎研究所に所属していた当時の研究室長である斎藤収三博士の三回忌にあたって、当時の研究室の仲間達が集まり、斎藤さんを偲ぶと共に久しぶりの同窓会を行うという趣旨で行われたものである。

そういえばこのブログでは、当時は東京都武蔵野市にあった(現在は厚木と関西に分散しているが)NTTの基礎研究所時代の事をほとんど記していない。まじめに研究に従事していたため、特段ブログに書くような思い出がないのだろうか。せっかくの機会だから、当時の事を少し記しておこう。

NTT基礎研究所斎藤研究室は、音声処理と画像処理の基礎研究を行う研究室であった。特に音声処理(音声認識音声合成、音声符号化などの研究)に関しては、米国のAT&Aベル研究所の音声グループと世界の音声処理研究のトップを激しく争っていた、世界的にもよく知られた研究室であった。

ベル研究所といえば、電話の発明者のグラハム・ベルの名前をとって電気通信の研究を行う目的で設立されたAT&Tの研究所で、トランジスタの発明や多くのノーベル賞の受賞などで一時期は 研究所の代表例として世界中の一般の人々にも良く知られた研究所であった。(残念ながら、AT&Tの分割以降の米国の通信業界の再編成の波にもまれて、現在では当時の面影はなくなってしまっているが。)

中でも音声処理は電気通信の根幹となる技術であり、ベル研の音声グループはベル研の中心的な存在であった。そのような研究グループと世界のトップを争っていたのであるから、斎藤研究室というと音声処理研究の世界では知らないものはないという存在であった。

私自身はそのような事は知らず、NTT研究所に就職が決まってからは、見栄えのいい画像処理研究に憧れており、斎藤研究室に配属を希望した。幸運にも斎藤研究室に配属が決まったのだけれども、音声処理グループに振り分けられ、音声処理のような地味な研究を一生続けるのかと、かなりがっかりした事を良くおぼえている。

研究室には、音声符号化方式で世界の標準となる方式を発明された板倉文忠博士を始めとして、優秀な研究者がそろっていた。しかも皆さん研究熱心である。週末も何人かは必ず出勤しており、研究にいそしんでいた。京都でのんびりとした学生時代を過ごして、競争という言葉を忘れかけていた私にとっては、大変厳しい研究環境であった。

ともかくも週末ものんびりとしていられないのである。週明けになると週末に出した研究成果を皆で議論し合っている。週末にのんびりと遊んでいると、その議論について行けず仲間はずれになったような気持ちになったものである。

当時はまだコンピュータが研究に使われ始めようという時代であり、まだ大学の研究室でも自前のコンピュータを持っている研究室はほとんどない時代であった。斎藤研究室はさすがに第一線の研究室だけあって、富士通製の中型コンピュータを有していた。

しかし、専用のコンピュータルームを占有しているその中型コンピュータの記憶容量が、250キロバイト(!!!)なのである。現在はパソコンでも250ギガバイト程度の記憶容量を持っているのが普通だろう。なんとその100万分の一の記憶容量しかないのである。演算速度も現在のパソコンの1万分の一もしくはそれ以下であった。

しかも研究室に1台しかないので、それを15人ほどの研究者が皆で時間表を作って時間を分割して使っていたのである。よくそれで斎藤研究室から次々と世界的な研究成果が出せたものだと、今から思っても感心してしまう。まあ演算速度や記憶容量と研究成果は直接関係しないということだろう。


私から時計回りに板倉さん(前名古屋大教授)、好田さん(前山形大教授)、嵯峨山さん(東大教授)、東倉さん(情報学研究所副所長)。



皆で記念写真。私が斎藤研究室に参加してからすでに40年、さすがに皆さん50歳代から60歳代で、現役リタイアの人も出始めている。