シンガポール通信ーネットワーク社会からピラミッド社会へ、そして再び...

塩野七生氏の「ローマ人の物語」に描かれたローマ国家観は、かなりローマ帝国に対して好意的ではある。例えば映画「グラディエーター」に描かれたローマ、もっと古くは「ベンハー」や「スパルタカス」に描かれたローマは軍隊が人々や奴隷を抑圧し、その上で皇帝を始めとしたローマの元老院や貴族が自由と享楽を楽しんでいるという社会であるというものである。

しかし、「ローマ人の物語」に描かれたローマは、現在の民主主義とは異なるにせよ、ある種の自由がローマ市民のみならず属国の人々の間にも存在している社会である。少なくとも、ローマ帝国ギリシャ都市国家のコンセプトをヨーロッパから中東、北アフリカにまで版図を持つ広大な国家にまで拡張させるのに成功した国家であるという点は正しいと理解してもいいであろう。その意味で、ローマ帝国ギリシャ都市国家の血を引いていると考えても良いのではあるまいか。

しかしその後、国家は国王・皇帝がトップにいて絶対君主として君臨する強固なピラミッド社会に移行していった。ここでは、残念ながらピラミッド型の構造は、トップに君臨する少数の人々が一般大衆を抑圧するために導入したメカニズムとして機能している。

それに対して民主主義社会は、トップに絶対的権限を与えるのではなく構成員が平等であるという思想のもとに運営されているが、組織の仕組みとしてはピラミッド構成を取り入れている。これは、ピラミッド型の組織が大きな組織を効率的に運営する有効な仕組みであることを示している。

ギリシャ時代に代表されるような小規模の社会では、ネットワーク型の組織の構造が機能し、これが小規模の組織では構成員相互の意見の交換や合意を可能にするのである。けれどもネットワークに含まれる人口が大きくなっていくと、構成員相互の意見の交換と共有や全員一致に基づく合意が困難になる。そのために、組織の増大に伴いネットワーク構造からピラミッド構造に変わってきたというのが、これまでの社会構造の変遷の歴史と言えないだろうか。

そのような観点からすると、私たちの社会はどうなって行くのだろうかという事に対して、一つの仮説を立てる事ができる。それは、ネットワークやネットワーク技術の普及・発展に伴なって、再び社会構造がピラミッド型からネットワーク型へと復帰するのではないだろうかという予測である。

もちろん現在のところ、社会機構は表向きはネットワーク構造ではなくて、ピラミッド構造がまだ健在である。たとえば、会社という組織は典型的なピラミッド構造をしている。また、日本の政治システムを見ると、首相をトップとするピラミッド構造をしている。

現在の日本の政治の仕組みを考えてみると、私たちができるのは選挙により議員を決めるところまでである。議員は通常特定の政党に属してかつ政党内に派閥がある。行政のトップである首相を決めるのはこれまで党内の派閥間の合意で決めていた。党内の合意で作った首相が、派閥間の合意のもとに種々の法律を作り政策を実施していくというのがこれまでの日本の政治のありかたであった。これはある種の合議制であるが、仕組みとしてはあくまで首相をトップとするピラミッド型の組織形態をとってきたといえるであろう。

2009年の自民党から民主党への政権の移動は、この仕組みが変って行く可能性を人々に持たせ、そのため当初は民主党政権の対する比較的支持率も高かった。しかし残念ながらその政策の決定の仕方や政策に基づいた政策の実行の仕方は現時点では自民党時代と全く変っていないと言っていいのではないだろうか。

しかしながらそれと同時に私たちが注目しなければならないのは、ネットワークを通してお互いに種々の情報をやり取りして、情報を共有したり議論したりするという形態が普及しつつあることである。政治形態や会社組織のようないわゆる表の組織に比較すると、まだネットワークのコミュニティは裏の組織であり、表の組織に比肩する影響力を持つわけではない。

しかし、ネットワークの中では、表とは異なるいろいろなコミュニティがあり、そこでは様々な情報が飛び交っていて、表のピラミッド型社会と共存している。そして徐々に表の世界に影響を与え始めている。日本の今の構造、そして日本に限らず他の国々で社会構造はある意味で二層構造なわけである。そして時には表の構造に対して影響力を発揮することもある。