シンガポール通信ーネットワーク社会の構造:ギリシャの社会

現在起こっている事を理解する1つの方法として、過去の歴史を振り返る事が大切である事を前回のブログに書いた。

こう書くと、「天が下に新しきものなし」という古い文句を思い出して、なんだか説教じみた事を言っているように聞こえるかもしれない。しかし決して世の中に新しいものが何もないといった諦念じみたことが言いたいわけではない。

新しいものが出現したときに、単に飛びついてみたり、もしくはどうして良いかわからないとあたふたしてみる代わりに、その底にある基本的なモデルのようなものを見いだそうとしてみてはどうだろうかという提案である。そうすると、人々の行動も理解しやすくなるし、また新しい現象の行く方向も見えやすくなるのではないだろうか。

そのような観点から、私たちが現在ネットワーク社会の構造を、過去の歴史と比較しながら考えてみる事にしよう。現在の社会の構造を考えてみると、ピラミッド構造をしていることがわかる。代表的な組織である会社という組織を考えてみると、社長、役員、部長、課長、平社員というピラミッド構造になっている。日本の社会の政治的な構造も、少し単純化し過ぎかもしれないが、首相、大臣、議員、一般人というピラミッド構造になっていると言えるだろう。

しかしながら、社会の構造がこのように明確にプラミッド型になったのは中世以降である。古代社会は必ずしもそのような構造ではなかった。ギリシャ時代は都市国家の時代であり、アテネやスパルタのような都市という、比較的小さい組織が国家であったのはご存知の通りである。

そこでは、市民権を持っている人たちは平等であった。さらに比較的小さい組織であるからすべての情報を人々が共有していた。政治などの決定事項があるときは、全員が集まり議論をして決めたわけである。これは完全なネットワーク社会ということができる。

映画300(Three Hundred)をおぼえておられる方も多いだろう。あの映画はペルシャの侵攻に対してギリシャが一団となって戦った第2次ペルシャ戦役を映画化したものである。その際に、スパルタが対ペルシャ戦役の兵を出すべきかどうかを決めるのに、集会場に市民全員が集まり議論する場面があった。もちろん全員が集まった場合はもっと大人数になったと思われるが、いずれにせよ、当時は都市全体が関わる決定事項は全員が集まって議論により決めたのである。

ローマ時代も、当初はローマという1つの都市が国家である都市国家として出発した。しかし時代とともに、ピラミッド社会に移行していった。それは単純にいうと、国家に代表されるような組織の規模が大きくなって行くと、人々の間の密なコミュニケーションが困難になるためである。効率的な組織の維持方法を考えると、ピラミッド型の組織の方が大きな集団を維持して行くのに適しているからである。そしてそれに伴い、組織を構成している構成員はそれぞれ役割が与えられ、分業体制が発達して行く。

動物の社会を見ても同様の事がいえる。集団の規模が大きくなってくにつれて、ピラミッド型の組織が構築されて行く。たとえば猿の集団では、大ボスが集団を統率していると共にその下に中ボス、小ボスが存在している。またもっと大きな集団、例えば蟻の集団を見ると、女王アリをトップとした見事な分業体制に基づいたピラミッド集団を形成している。同様の事が人間の社会でも生じるのであろう。

私たちがローマ時代に対して持っているイメージは、皇帝が絶対的な権限を持って国家を統治し、それを支える組織として軍隊が存在する軍事国家であるというものではないだろうか。塩野七生氏の「ローマ人の物語」は私の好きな本であるが、これを読むとそのイメージが覆される。「ローマ人の物語」に描かれたローマ社会は、ローマ街道を基本として広大な帝国に網の目のように張り巡らされたインフラストラクチャと地方分権に基づいて構築された社会である。

それはピラミッド社会であると同時に、ある種のネットワーク社会の機能も有していた。徹底した分権制度を採用することにより、多民族、多人種、多宗教を抱えながら、広大な国家の運営が可能となった。軍隊は皇帝が人々を圧制するために用意した仕組みというよりは、この広大な国家を外敵から守るための仕組みと解釈した方が良い。

また皇帝は、絶対君主というよりは、この仕組みを継続することを使命として要求される人民の代表である。いわば会社の雇われ社長のようなものである。したがって、能力がないと判断されると、暗殺という手段によってしばしば交代させられた。ローマ皇帝の多くが暗殺によって殺されているのは、それを示している。