シンガポール通信ー梅雨の京都先斗町にて

先週は夏休みを取って京都に帰っていたため、ブログを書くのをご無沙汰していた。日本は梅雨であった。ここ数年、日本の梅雨は豪雨があったり梅雨にも関わらずからっと晴れた日があったりと、男性的な気候になっていたようである。しかし今年は、少なくとも私が帰国していた間は、毎日しとしとと雨が降るといういわゆる梅雨らしい天候であった。

シンガポールの天候が最近少しおかしいのは、このブログでも書いた。一日中曇っていたり、一日中雨が降ったりと、これまではお目にかからないシンガポールらしくない天気に出会う事が多くなっている。とはいいながら、全体に見るとそのような天気の日がそれほどある訳ではなく、一日中晴れており、夕方頃スコールがあるという男性的な天候がシンガポールの特徴である。

そのために、シンガポールでは傘を持っている人というのは、あまりお目にかからない。スコールの場合は、ショッピングセンターやコーヒーショップで雨が上がるまでしばらく時間をつぶすというのが、こちらのスタイルらしく、雨の中を傘をさして歩いている人の数は多くない。

それに対して日本は湿度が高い事もあって、ちょっとした雨でも人々は傘をさすようである。今回の帰国の際も、私はほとんど傘はささなかったが、町を歩いている人の大半は傘をさしていた。まあ私が少しシンガポール慣れしてしまったのかもしれない。

今回の帰国では小さいけれども私にとっては重要な出来事があった。

一つは、昔よく行っていた先斗町の「仁助」という店の後継の店に行ってみた事である。仁助は、このブログでも書いたけれども、日本酒と近江牛を出す店で、ずっと先斗町に店を出していた。そこの主人は、少しワルぶるところのある特徴のある親父であったが、なぜか私と気があったため、毎週のように飲みに行ったものであった。

それが何かのきっかけで、けんか別れになり、数年間行かなかった間に店をたたんでしまっていた。その後ずっと店は閉じたままになっていたので、どうなったのかなと気になっていた店である。仁助に関しては最近当時のおかみさんと連絡がとれ、そのうちに会いましょうという事になっている。残念ながら、仁助の主人の方は数年前に他界されたとの事である。

仁助の主人との長い付き合いの件は、またそのうちにこのブログでも書こうと思っている。ともかくも今回帰国した際に、先斗町をぶらぶらしていると、かって仁助があった場所に新しい店が開店しているのを見つけた。おもわず懐かしくなって入ってみると、それは鶏肉料理の店であった。

店の内部はかなり改装されているけれども、まだ私が足しげく通っていた頃の面影を残している。店を仕切っているのは、若い二人のまだ30歳台半ばと見える若者たちである。聞いてみると、鶏肉料理の店の前にしばらく寿司の店がその場所を使って営業していたとの事である。しかし、その店は半年足らずで閉店してしまい、その後に鶏肉料理の店を彼等が開店したのだとの事である。

もちろん、彼等はその前の仁助の事はまったく知らないわけで、仁助と私の付き合いの話を聞かせてやると、大変興味深そうに聞いていた。今回は、残念ながらカメラを持参する事を忘れたので、店内の写真を撮る事はできなかった。今度訪れる際は、ぜひとも写真を撮ってこのブログで紹介したいと思っている。

先斗町は、夕暮れ時から深夜まで相変わらず多くの観光客でにぎわっている。しかし、その鶏肉の店を仕切っている若者に聞いたところでは、単なる冷やかしで通り過ぎる観光客が大半だとの事で、なかなか店に入って来てくれる客は通り過ぎる客の数の多さからすると少ないとの事である。

かっての先斗町は店先に料金付きの品書きを出している店はほとんどなく、なかなか店に入る勇気が出なかったものである。その点最近は大半の店が料金付きの品書きを店先に出しているので、明朗会計の店が増えたのであるが、やはり観光客からすると祇園と同様に料金の高い店が多いとの印象を持たれているようである。

今回の帰国の際の出来事のもう一つは、京都に移って来てから初めて町内会に出席した事である。その事は次のブログに書こうと思う。