シンガポール通信ーiPadとゲーム再考

さて前回、飛行機の中での時間のつぶし方として、iPad(もちろんPCやiPhoneなどでもいいわけであるが)にダウンロードしたゲームを楽しむ事ががどうも合っているようだという事を書いた。

どのような行為(ここでは仕事や遊びなどすべての私たちの行動をまとめて「行為」と呼ぶ事にしよう)がどのような場合に適しているかというのは、どうもそれぞれの行為の要するエネルギーと非常に深く関係しているようである。

もちろん小説を書いたり、アート作品を制作したり、研究をしたりという創造的行為は非常に多くのエネルギーを必要とするが、それ以外の行為もそれなりのエネルギーを必要とする。例えば人とのコミュニケーションという行為もそうである。

もっともコミュニケーションには、顔を合わせて行うものや電話やメールで行うものなど種々のパターンがある。もちろん顔を合わせて行うコミュニケーション、特に初対面やあまり知らない人とのコミュニケーションが最もエネルギーを必要とするというのは、誰もが認めるだろう。だからこそ、人と会うのをいやがる「引きこもり」という現象が生じる訳である。

しかしながら、メールでのコミュニケーションも、それなりにエネルギーを必要とする事は明らかである。Twitterのように言いっぱなしではなく、基本的にはメールコミュニケーションは1対1のコミュニケーションであるから、相手からのメールに対しては何らかの行動をする必要がある。本当に疲れたときにはメールすら読みたくなくなるのは、この相手からの行動要請に答えなければならないという心理的ストレスによるものだろう。

それに比較すると、テレビや映画を見たり野球を観戦するのはそれほどエネルギーを必要とせず比較的気楽に楽しめるというのは、誰もが認める事だろう。テレビ・映画の視聴、野球の観戦などは鑑賞型の言い換えると受け身の行為である。これに対して創造的行為やコミュニケーションは能動型のもしくはインタラクティブな行為である。つまり鑑賞型の行為に比較するとインタラクティブな行為はそれだけエネルギーを必要とする訳である。

もっとも、ゲームの方がコミュニケーションより気楽に楽しめるというのも、皆が認める事だろう。私自身も、疲れてメールも見たくないという時に、ゲームで疲れを取るという事が多い。これは、インタラクティブな行為の相手方が誰かもしくは何かによるのである。ゲームはインタラクティブな行為ではあるが、相手はコンピュータである。つまり人間相手の行為の方が、機械相手の行為に比較してエネルギーを必要とするというわけである。

もちろんこれは一般論であって、具体的な必要エネルギーは状況ごとに異なってくる。たとえば鑑賞型行為の代表例である野球観戦でも、自分のひいきチームが劣勢になっている場合などはなんとか逆転してくれと祈りながら応援するから、心理的にも大変エネルギーを必要とする。また別の代表的鑑賞型行為である映画鑑賞でも、ホラー映画などでは大変エネルギーを消耗する。だからホラー映画を見たくないという人が多い訳である。

元気一杯でエネルギーレベルが高い時は、人はエネルギーを要する行為を好んでしたがる。そのような時は人は仕事などの創造的行為をしたがるし、ゲームなどをしている人を見ると「なんだあんなことに時間をつぶして」と思いがちである。一方疲れてエネルギーレベルが低い場合は、当然ではあるが仕事などのエネルギーを必要とする行為はしたくはない。

飛行機の中というのは、当然後者に属するだろう。長時間の飛行は、人に肉体的・精神的ストレスを与え、エネルギーを消耗させる。最初のうちは仕事をしていても、徐々にエネルギーレベルが低下して来て、そのうちに仕事などというエネルギーを必要とする行為をする気にはならなくなってくる。

飛行中という状況とゲームをやるという行為がマッチしているということを言うのに長々と書いて来た訳だが、じつは主張したい事はもう1つある。それはこのブログでも書いた事だけれども、iPadというデバイスはどのような行為にマッチしているかという事である。結局のところiPadは、エネルギーを要する行為ではなくて、エネルギーをあまり必要としない行為に向いているのではないか。

別の言い方をすると、創造的行為などの能動型の行為ではなくて、映画鑑賞などの鑑賞型もしくは受け身の行為に向いているのではないかということである。これは別にiPadの悪口をいっているわけではなくて、iPadというメディアの適性を論じている訳だけれども、そういう切り口の意見があまりないのはどうしてだろう。