シンガポール通信ーiPadでファイナルファンタジーを楽しむ2

前回の続きで、iPad上に移植されたファイナルファンタジー3(FF3)を少し遊んでみた感想を。

まず最初に驚いたのは、特に特別な操作をしたわけでもないのに英語版がダウンロードされた事である。iTuneの日本サイトにアクセスしているので、日本語版がデフォルトのはずであるが、なぜ英語版がダウンロードされたのだろう。

簡単な英語だろうから英語版でも別に不自由はないはずであるが、何となくプレイしにくい。どうも英語訳がこなれていないようで、難しい単語が時々出てくる。辞書を引かなければならないような場合さえある。ゲームをしながら辞書のお世話になるというのも変なので、もう少しこなれた訳にしてもらいたいものである。

そういえば、新幹線の車内案内なども、聞いているとなんだかこそばゆくなってくる。どうもこなれた英語になっていないと思うのは私だけだろうか。日本語の原文をそのまま直訳したような感じであって、もう一段こなれた訳にする必要があるのではあるまいか。

FFシリーズは当初ファミコン(FC)用としてスタートしたが、私はFF4がスーパーファミコンSFC)版として発売になってからのユーザである。当時はすっかりはまってしまって、週末はもうFFのプレイにすべての時間を費やすという時期もあった。

さすがに現在では、そのように熱中する事はできなくて、ある程度距離をおいてゲームを楽しむという心境である。「心の欲するところに従いて矩をこえず」という心境に到達してしまったということだろうか。なんだか寂しい気がしなくもない。しかし今でも、週末などはオンライン麻雀などをやっているとすぐに半日ほどはたってしまうので、まだまだ私の我欲・物欲も捨てたものではないということだろうか。

FFやドラクエなどファンタジーをベースとしたロール・プレイング・ゲームRPG)の魅力はなんといってもファンタジーを下敷きにしているという事だろう。ファンタジーの基本的なストーリーは単純であり、世界を滅ぼそうとしている悪に対して主人公達が結束して対抗し、種々の困難を乗り越えながら、最終的には敵を倒すという物である。

基本的なストーリーは単純なのであるが、私たちの心の底に眠っている太古の記憶を呼び起こしてくれるのだろうか。ロード・オブ・ザ・リングなどの映画を見る場合も同様であるが、何かしらデジャブに似た感覚をもたらしてくれる。

同時にRPGの興味深いところは、主人公達がモンスターとの戦いを経て経験値を積み上げレベルアップして行くというセッティングにある。小説の一分野として主人公の成長を描いて行くジャンルがあるが、まさにRPGは成長物語を地でいっているのである。

また別の要素として、成長物語のストーリーを体験するという以外に、敵モンスターと戦うという対戦ゲームの要素が組み込まれている事である。すなわち、ストーリーを体験するゲームと対戦ゲームの両方の要素を統合したところに従来のゲームに対するRPGの新しさがあるのだろう。

主人公達が経験値を積み上げレベルが上がるに従い、戦う相手のモンスターの強さも上がって行く。しかし、味方が受けるダメージを抑えながら、敵に与えるダメージを大きくする事を狙うという、基本的なメカニズムは全く同様である。いいかえれば、モンスターの外観が異なっているだけで、プレイの中身は全く同じなのである。

つまり、全く同じ事をやっているのに、見え方が異なると別の体験をしているように感じるのである。しかしここが人間の面白いところであり、言い換えれば単純なところであると言えるだろう。ともかくも、ストーリー体験ゲームと対戦ゲームの間の微妙なバランスこそがRPGの成功の秘密ではあるまいか。

もちろんそれだけでは飽きられてしまう恐れがあるので、他にもいろいろと手はこうじてある。たとえば主人公がいろいろと武器や装具を選べる仕組みや、主人公達のそれぞれの役割(ジョブと呼ばれる)を変更したりする機能を加える事により、プレイのバラエティを増やす工夫をしている。

そのためある意味で、追加機能や細部にこりすぎているという気がしなくもない。この辺りはいかにも日本人的な感性に基づいて設計されている。FFやドラクエはもちろん海外でもかなり売れてはいるのだが、一部のオタク的ファンを除くと国内ほど多くの人に熱狂的に受けているわけではない。一度シンガポールでの人々の感想を聞きたいものだと思っている。


ファイナルファンタジー3の一場面