シンガポール通信ーシンガポールの選挙

現在シンガポールは総選挙中である。4月27日に公示され、5月7日が投票である。当然私は投票権はないし、ほぼ一党独裁に近いシンガポールでの総選挙といってもあまりピンと来ないが、今回はテレビなどでも盛んに報道しており、どうも従来とは少し様子が異なるようである。そこで私が感じるシンガポールと日本の選挙の違いについて少し。

野党はあるのか

一応民主主義国家を名乗っているので、当然シンガポールにも野党はある。しかし、ほぼ一党独裁に近い。2006年に前回の総選挙が行われ、現在は定数84人のうち、野党は労働党が2議席を取っているだけである。

このような野党2議席という状況では、与野党間の議論というのは現実問題として起こりにくいだろう。テレビで国会中継を時々行っているが、ヤジ・声援などは全くなく、与党議員、主として大臣クラスの議員が自分の行う政策を発表しているだけの雰囲気である。

他の議員たちはうなずきながら聞いている。なんだか、会社における会議や役員会を見ているようであって緊張感というものが感じられない。まあシンガポール全体がシンガポール国立会社と揶揄されるように1つの会社のようなものであるから、それはそれでいいという感じもするが。

2大政党制へ移行の可能性はあるのか

現首相のリー・シェンロンがある講演会でこのことを訪ねられた時に、「シンガポールのような小国では2大政党制は非効率的である。2つの政党に優秀な人材を分散するより1つの政党にまとめて強力なチームを作った方が政治がうまく行く」と述べたとのことである。

これも会社として見た場合のシンガポールを考えてみれば、それはそれなりに正論である。しかしやはり国家は会社とは異なるべきであるという考え方もあるだろう。会社組織は会社の存続が主目的でありそのためにいかにして効率的に収益をあげるかを求められる。

現在のシンガポールの政府の考え方はそのようなものであろう。しかし、経済的にはそれでいいにしても、国家は会社組織と異なり、文化、教育、美術などを通してそこに住む人たち全体に物質的幸福以外に精神的幸福を与える義務がある。

その意味で現在の体制がいつまで続くかという問題点はあるだろう。独立直後の国家としての生存が主目的であった時代から、先進国としてあるレベルの物質的幸福を人々が持つようになった現在のシンガポールはその先を求められているのではあるまいか。

今回はこれまでになく野党が候補者を立てているとのことで、テレビでもそのことをしきりに報道している。これは上にも述べたように、ある程度の生活レベルに達した人たちが政府の政策に種々のバリエーションを求め始めたことの現れではないだろうか。

選挙活動の進め方

選挙活動まっただ中であるが、なんだか静かで日本と比較して不思議な感覚がする。なぜだろうと思っていたら、宣伝カーによる選挙活動がないのである。日本だと選挙活動中は朝から晩まで候補者の名前を連呼する宣伝カーが走り回りうるさいことこの上ないのであるが、こちらではそれがまったくない。

テレビを見ていると、選挙活動は主として候補者が地元を歩いて回る(日本流にいうと「ドブ板作戦」)手法と、それぞれの政党がスタジアムなどの大きな場所に支援者を集めて政策を披露し支援を訴える手法が主流のようである。もちろんテレビで各候補者が一定の時間を割り当てられて演説を行うというこれは日本でも見られる手法も取られている。

いずれにしても選挙活動の方法も米国をまねているようである。翻って考えると選挙期間中は宣伝カーが候補者の名前を連呼して周る日本方式が特殊なのかもしれない。

(続く)