シンガポール通信ー和辻哲郎「倫理学」を読む2

和辻哲郎倫理学」の構成をざっと見ておこう。全体は以下の4つの章から構成されている。

第1章:人間存在の根本構造
第2章:人間存在の空間的・時間的構造
第3章:人倫的組織
第4章:世界史における諸国民の業績

第1章では、人間の存在を個人としてみるだけでは不十分であり、人と人の間の関係性が大きな意味を持っており、その意味で人間を個人としてとらえて来た従来の哲学・論理学が不十分であることを論じている。原則的にはそのこと自身には異論はない。しかし読んでいて何となく釈然としないのである。

それは彼が、彼の哲学・倫理学を人間関係というものだけに焦点を当てて考えようとしているからではあるまいか。従来の哲学が個人に焦点を当てすぎて来たのはたしかである。しかしそれは個人の意識・意志というものを掘り下げて考察することそのことが重要かつ困難な問題であったからではないだろうか。

個人に関して徹底的に考察し、その次に自分以外の他者が同じような意識・意志を持つのか否か、そして個人と他者がなぜ対話・交流・理解が可能なのかという問題を扱うことが必要であるが、この問題を正面から取り扱うことはさらに困難な問題であろう。

しかしながら和辻哲郎はこの問題に正面から取り組んでいる訳ではない。彼の論理学は、人間存在を考える場合、それを組織・グループなどの全体的観点から見ようとする立場に自分をおいて議論を開始しているのである。そしてそのような観点から、従来の哲学の不備な点を個々の哲学者を取り上げながら論じている。その論理展開そのものは緻密であり、彼の学識の豊富さを示している。

しかしそれはちょっとずるいやり方ではあるまいか。新しい哲学・論理学を打ち立てるなら、従来の哲学が個人にのみ焦点をあてており全体的視点が欠けていることのみを指摘するだけでは不十分である。なぜ人は他者と相互理解可能なのか、なぜ人は集団・組織を作るのか、それは本質的に必要なのかなどといった誰でも考える疑問点に和辻哲郎の鋭い直感をもって答えてほしいのであるが、残念ながら彼はそのような疑問に直接答えようとしていないのである。

第2章では、哲学において重要な問題である空間・時間の問題を取り上げている。まだ流し読みをした程度であり、十分理解しているとは言えないが、どうもここでも和辻哲郎の論理は、従来の哲学における空間論・時間論において人間同士の関係性や人間集団から見た空間論・時間論が欠けていることを指摘しているのみのようである。ここでもいえるのは、従来の哲学の批判に終始しており、彼自身の空間論・時間論というものの構築にまで至っていないことである。

もう一度言うと、和辻哲郎の「倫理学」では、従来の哲学・論理学には人と人の間の関係性という観点が抜けているもしくは希薄であるという指摘を種々の主として西欧の哲学・論理学者の論理を取り上げ批判しているのみなのである。そして残念ながら、彼自身の哲学・論理学を構築するには至っていないのではあるまいかというのが、私が彼の「倫理学」を読んでいて感じることである。

「古寺巡礼」「風土」を読んで和辻哲郎のファンになった人は多いと思うが、そのような人たちにとってこのことはいかにも残念なことであるまいか。

従来の文献の緻密な調査にもとづいてというよりは、彼の豊かな直感と感性にもとづいて構築される論理は私たち素人にとってはいかにも痛快である。世界の風土をモンスーン、砂漠、牧場に分類しこれらの風土がそこに住む人たちの生き方さらには精神性に大きな影響を及ぼし、そしてそれが世界を3つの文化圏に分けているという彼の論理は平易であると共に説得力をもっている。

もちろん実際にはそのように単純に世界を3つの文化圏に分けることは問題があるだろう。しかしながら、物事に大きな変革を与えるのは直感である場合が多い。若い頃の和辻哲郎は鋭い直感と共にその直感に基づいた論理を平易な文章で表現できる豊かな感性を持っていた。残念ながら「倫理学」にはそれが感じられないのである。和辻哲郎は老いたのだろうか。

(続く)