シンガポール通信ーネットの潜在能力と現状

前回は、東日本大震災においてネットが大きな力を発揮したとのメディアなどの報道に関して、少し疑問を呈しておいた。

それは、インターネット上のツイッターフェースブックなどの新しいコミュニケーション手段が、今回の大震災に際して安否情報の伝達や海外からの励ましのメッセージを届けるなどの点で有効に働いたことは認めるものの、実際に被災地で食料や水や医薬品の深刻な不足に悩んでいる人たちには直接の助けとはならなかったのではないかという疑問である。

復興に向けての歩みの中では、励ましなどのメッセージは大きな力を発揮するだろうが、震災時やその直後の被災地の人たちを物質的に助けるという意味では、まだまだネットは力を発揮していないのではないだろうか。

結局のところ今回の震災でも、津波の持つすさまじい破壊力やそれがもたらす被害の大きさを直接私たちに教えてくれたのは、ヘリや高台からのビデオ映像であったし、また被災地に最初に入って生存者の救助、遺体の収容、さらにはがれきの撤去などを行ったのは自衛隊を先頭とする組織であった。

つまり、ネットが世界を変えようとしているというニュースや解説はそれこそ耳が痛くなるほど聞かされているのであるが、このような大震災の際にはまだまだ従来型のシステムが機能するのであって、現時点ではネットはまだ直接それに対応できる力を持っている訳ではない。

このような意見に対し、ネットの持つ力はもとものそのような物理的なものとは結びついていないという反論がされるだろうことは予測される。しかし、実際にはネットの持つ潜在能力はそのようなものではないと私は考える。

例えば、今回不幸にして震災にあった大多数の人たちは携帯電話を持っていたであろう。携帯電話の持つGPSを用いた位置把握機能を用いれば、理想論を言えばその時震災にあった人たちの位置情報はすべて把握可能な訳である。さらには携帯電話に心拍を測定するセンサー機能が付いていれば携帯電話を持っている人の生死の情報がわかるわけである。

とすると、これらの携帯電話が発する情報をセンターのコンピュータがまとめて把握しているとすると、地震が起こった時にどの場所にどの程度の人がいるか、どの人々が無事なのか、さらにはどの程度の人が津波や家の下敷きで亡くなっているかなどが、リアルタイムでわかるのではないだろうか。

さらには、その後人々がツイッターなどを使って現状に関して発信するつぶやきをセンターのコンピュータがまとめて解析する能力を持っているとすると、さらに詳細にどこで何が起こっているのか、さらには食料品、水、医薬品などの物をどの地点で必要とされているのか、そしてそのような物資の最適な配送はどうすれば実現されるのかを知ることが出来るのではないだろうか。

もちろんこれは理想論であろう。しかし携帯電話の持つGPS機能を用いて子供の現在位置を知ったり認知症の老人の徘徊状況を知るなどの機能は、既に使われているではないか。とすれば上記のことは決して夢物語ではなくて、その気になって開発すれば実現可能なことではないだろうか。

つまりそのようなネットが持つ潜在能力を考えると、現在のネットの持つ力はまだまだそのほんの一部が実現されているだけなのである。現在のレベルのネットの力をもってネットの力を賞賛するべきではないと私は思っている。

さらにこれを延長してみよう。現在中東の諸国で起こっている人々が民主化を求めて行っている動きを考えてみよう。エジプトやチュニジアで起こった人々の民主化運動が、あたかもネットの力によって引き起こされたかのような報道がなされているが、それは正しいだろうか。

もちろんネットがその運動にある程度貢献していることは認めたい。しかし、あたかもそのような運動がネットによって引き起こされたかのような報道がなされているのは、行き過ぎと言うものであろう。

はたしてネットがなければそのような動きは引き起こされなかっただろうか。そのようなことはない。既に人々の間で民主化を熱望する気持ちは十分に高まっていたのである。それが何らかのきっかけで実際の行動に結びついた訳で、ネットはそのきっかけの1つになったという言い方が正しいのではないだろうか。

ネットがなければ人々の気持ちがそのような現実の運動に結びつかないのであれば、古い話になるが例えば60年代の安保闘争は起こらなかったことになる。さらには60年後半に生じた世界的なレベルでの学生運動、大学紛争は起こらなかったことになる。

当時はもちろんネットなどと言うものはなかった。それでも人々が思いを共有しており、それがあるレベルに達すると、現実の行動に結びつくのである。再度言うが、現時点でのネットの力は極めて限られたものであることを私たちは知っておくことが必要である。