シンガポール通信ー東日本大震災とネットワーク

今回の東日本大震災で果たしてインターネットはどのような働きをしたのだろうか。ネット時代と言われる現代における大震災への対応に、ネットは効果的に機能したのだろうか。

そのような疑問を持つのは、どうしても1995年の阪神・淡路大震災と今回の震災を比較してしまうからである。阪神・淡路大震災の場合には、電話・携帯電話などが多くの通話が集中していわばパンク状態になりつながりにくい中で、インターネットは比較的よく機能し、被災地の情報を外部に伝えるのにある程度役に立ったという事がいわれている。

今回も電話・携帯電話が不通になる中でインターネットは機能し、特にツイッターフェースブックなどのメディアが人々の間の情報交換・流通に大いに役立ったという事がいわれている。

確かにそれは事実だろう。しかし考えてみれば、インターネットも物理的な情報を送る線(有線、無線を問わず)のレベルでは電話網を利用している訳である。したがって、同じ物理的なネットワークを使いながら、多くの通話が集中すると電話がつながりにくくなるのに対し、インターネットが比較的そのような状態に対し強いのは別の理由を考える必要がある。

それは電話では2地点間を物理的につないだ後(つまり通話ができる事を保証した後)でないと通話が行えないのに対し、インターネットは送る側が情報を送りっぱなしにするというのが基本的な考え方だからである。電話はある意味極めて贅沢な仕様になっているため、ある程度以上通話が集中するとさばききれなくなるわけである。

考えてみればあたりまえのことであるが、電話が非常時には結構もろいメディアである事が今回の震災で証明されたというのが本当のところだろう。インターネットを使った通話(Skypeなど)が震災に際してもかなり有効に動作したというのは、長時間不通になった電話に比較して興味深い現象である。

さて次にツイッターフェースブックの効力について考えてみよう。これらを利用する事により被災地の人たちとの安否の確認がとれたとか、東京で交通網が寸断状態になった際に食事や仮眠を提供している場所をツイッタ—によるつぶやきから情報を得る事ができたなどの効果が報告されている。そして被災直後からツイッタ—などで世界各地からのお悔やみや励ましの言葉がつぶやきとして送られて来たなどの報告がされている。

これらの事から、今回の震災に際してはツイッターフェースブックに代表されるネットワークメディアが大きな力を発揮したという報道がなされる事が多い。しかし本当にそうだろうか。

もちろん、上に述べたようなこれらのネットワークメディアの力を否定する訳ではない。しかし、そのようなネットワークメディア賞賛の声に諸手を上げて賛同する気にもならないのである。それは、これらのメディアが本来持っている力はもっと大きいものであると思われるからである。

例えばツイッタ—で世界各地から送られてくる励ましのメッセージはそれはそれで結構であろう。しかしながら被災地の人々が震災直後に本当に必要としているのは、食料であり、水であり、医薬品である。残念ながら励ましはこれらの代わりをする事はできない。

もちろん復興が始まった段階ではこれらの励ましは被災地の人々の精神的な支えとなるであろうことは間違いない。しかしながら、その前の段階、食料や水や医薬品の不足に喘いでいる人々には残念ながら励ましだけでは無力とまでは行かなくても本当の助けにまではならないのではなかろうか。

つまり、現在のネットワークメディアは人々の精神的なつながりに役立っているレベルであり、物質的なつながりを生み出す力にはなっていないのである。

元々ネットワークメディアとはそのようなものだという反論もあるだろう。しかし本当にそうだろうか。そんなことはない。ネットショッピング、ネットオークションなどネット上のやり取りが実際の物質と結びついている例は既に多いではないか。

つまり、現在のネットでは平常時においては物質と結びついた機能がある程度確立されているのに対し、震災時のような緊急時に有効に働くような仕組みがまだまだ作られていないという言い方が正しいのではないだろうか。これはネットの今後の課題ではないだろうか。