シンガポール通信ー東日本大震災と映像の力

3月11日の地震に端を発した東日本大震災から2週間が経過した。いまだに人的なまた経済的な被害の全貌は明らかになっていない。このような状況下であまり先走った事を書くのはためらわれるが、ともかくも現時点での私の個人的な感想などを簡単に記しておきたい。

地震の発生当時、私はシンガポール政府の担当者とシンガポール・日本の協力によるシンガポールにおけるコンテンツ生成産業の振興策について打ち合わせを行っていた。(またこの話はある程度進んだ時点でブログに書きたい。)従って当然地震発生の話は知らなかったが、打ち合わせをしていた担当者が日本で地震が起こったらしいと告げてくれた。

その後オフィスに戻ってネットのニュースを見ると、東北地方に地震発生のニュースが載っていた。しかしその時点ではもちろん詳細な情報がある訳ではない。地震の規模そのものは大きそうだが、全体の被害がどの程度かはネットだけでは全くわからない。

そうしているうちに妻から電話があった。妻はちょうどフランスにいたのであるが、朝ホテルでCNNのニュースを見ると日本の地震の様子が報道されており、「家や車が流されて大変」とのことであった。

そこで動画サイトを探していると、ニコニコ動画NHKのニュースをリアルタイムに流しているのに出会った。これだということでNHKニュースを見たのであるが、そこで見た映像はまさに言葉を失うようなものであった。海から押し寄せる水の流れが車を家を押し流し飲み込んで行くようすが映像に映し出されていた。

津波というのは、大きな波が押し寄せるという印象を持ちがちであるが、海岸に近づくとそれは大きな波というより水面全体が上昇し海から陸地に向かって激流が逆流してくるという形になる。そしてそれが大きな力となってすべてのものを押し流して行く。

東南アジアでしばしば生じる地震による津波の映像で似たものを見た事はあるけれども、なんだか津波に対して自分が持っている概念と違うので、津波というより洪水の映像として理解していたのかもしれない。

しかし今回の映像は、まさにそれと同じ事がしかも何倍もの規模でもって東北地方東部の海岸地帯に襲いかかっている事を示していた。私は息をのんで映像を見つめていたが、同時になんだか似たような感覚を持ったことがあるというある種の既視感(デジャブ)の感覚を感じていた。

すぐに気付いたのであるが、それは1995年に発生した阪神・淡路大震災のテレビ映像を見たときに感じた感覚と同様の感覚であった。当日は今でもよくおぼえているがちょうど休日あけの火曜の早朝であった。私は関西で単身赴任で勤務していたが、連休でもあり東京の自宅に帰り、その日の早朝に関西に向かうべく東京駅に向かった。

ところが東京駅では、関西の地震のため新幹線がストップしており、再開の見通しが立たないとのことである。仕方がないので再び家に帰ってテレビを付けると、テレビ局のヘリが被災地の様子を上空から撮影した映像が流れていた。

それは今回の東北地方が津波におそわれている映像と同様凄まじい映像であった。阪神高速道路が各所で倒壊し、しかも各所で火の手が上がっている。映像にかぶさったアナウンサーの声は「現時点で死者数名が確認されています」というのんきなものであったが、映像を見たらこれはただ事ではないという事が瞬時にしてわかる。

もしかしたら死者が千人規模で生じる可能性があるということは、映像を見たときに私が直感的に感じた事である。実際の死者の規模が判明するのにはかなりの時間がかかったが、結果として死者5千人以上という災害になった。

今回私が東北地方の津波の映像を見たときに感じた感覚も全く同様のものであった。映像を見ただけで少なくとも阪神・淡路大震災に匹敵するかもしくはそれを凌駕する規模の災害であり、被害も同様のもしくはそれ以上のものである可能性が大きいことは直感的に分かった。

つまりそれは映像というものが持つ力である。「百聞は一見にしかず」とはよくいう言葉であるが、言葉はそれ独自の極めて強い力を持っており、映像の持つ本当の力を感じる事はそれほどないというのが実際のところではないだろうか。

最近のハリウッド映画ではCGや特殊効果を多用した現実離れした映像を見る事が多く、最初は驚かされたものの慣れてしまうとまたかという感覚を持つため、映像の本当の力を感じる事は少ない。

しかしながら、それが実際に現実に起こっている事である場合には、映像の持つ強い力を再認識させられる。津波で車や家が押し流されている映像は、この災害が過去に例のない大災害であり、それに伴う被害も極めて大きいものである事を直感的に私たちに教えてくれたのではないだろうか。そしてこの力は他のメディアでは代用できないものではないだろうか。

(続く)