シンガポール通信ーまた京大での国際会議の話題2

まず話題提供者として京大の土佐先生が日本文化をコンピュータで扱った例として、禅の体験システム、俳句の自動生成システムなどのシステムを紹介した。その後東田大志君東西のパズルの歴史や彼が作っているパズルの話をした。

彼はすでに自作のパズルの本を数冊出版しているが、実はまだ京大の博士課程学生である。とはいいながら、パズルがどのように進化して来たか、さらにはパズルの東西の違いなどの話は大変含蓄に富んでおり面白い。


話題提供者である京大の土佐先生と東田君


さて、これらの話をきっかけにして東西の文化の違い、文化とコンピュータなどの話題を、パネリスト、話題提供者、さらには聴衆の間で議論しようという訳である。

最初にケンにふると、さすがにコンピュータサイエンティスト、自分の研究例を出しながら技術の基本的な部分は数学やモデルが支えており、このレベルでは人々は相互に理解可能であり、文化の相違というのはないといった方が良いのではないかという意見である。

次にマークにマイクを渡すと、さすがに日本文化に博学なだけはあり、ヨーロッパ文化と日本文化の相違などを示しながら、同時にヨーロッパで古くは源氏物語、そして最近では日本のアニメや漫画が受け入れられている事から、コンテンツの部分では文化的相違はあるものの、異なる文化は異なるものそして理解不可能なものではなく、むしろ理解可能でありかつ今まで知らなかった新しい物の見方を提示してくれるものであるとの考えを提示した。

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パネリスト。左から、私、マーク、ケン


いずれももっともであり、それだけだと議論が終わってしまうので、会場の方から意見を聞いてみると、日常生活で異文化を体験することがいかに大変か、また異なる文化での子供の教育が以下に大変かという、いわば異文化理解不能論などが飛び出して来て大変議論が盛り上がった。

コンピュータサイエンスに携わっており理論的・原理的な話が好きだと思われる研究者が、日常生活の細部の話を持ち出すのは少し違和感もあるけれども、人間味も感じられてなかなか良いものである。そして最後は議論が盛り上がっているところで、「議論が盛り上がっていますが、残念ですが時間なのでこのへんで」という常套的な形で締めくくらせてもらった。

最後に面白い体験をしたのでその話を少し。

会議にはつきもののパーティの時の話であるが、会議参加者数人でマークとケンを誘って二次会に行こうと言う事になった。マークの方は大変乗り気で、一緒に来ているガールフレンドも連れて行くという。


パーティ会場にて左から、ケン、土佐先生、私、マーク、マークのガールフレンド


陽気なケンは当然参加するだろうと思い彼に声をかけると、「It’s OK」という。当然これは承諾だろうと思いじゃあ行こうと一緒に出かけようとするともう一度「It’s OK」という。あれっと思ったが、その時「It’s OK」は「No」を意味することも多いということが頭に浮かんだ。確かめてみると、たしかに今日は疲れているので残念ながら行けないとのことである。

そういえば、「It’s OK」の最後のトーンが下がり気味であったことに気づいた。なるほどトーンによって両方の意味が出てくる訳である。日本語の「いいです」が全く同じ様な使い分けをするけれども、英語でもトーンによって意味が異なるという微妙な言い回しもあると言うのは大変興味深い。

その後何人かの米国人に聞いてみると、その通りと言う人もいれば、そんな話は聞いたこともないと言う人もいる。どうも米国文化でもこのような使い分けをする文化としない文化があるようである。