シンガポール通信ー鳥取智頭での読書会2

さて耕読会であるが、これは岡田先生が京大に移られる前に鳥取大に勤務しておられた時に端を発している。

岡田先生が鳥取大に勤務されている間に、鳥取県の地元の人たちの地域おこし活動に積極的に関与され、特に智頭町の人たちと密接な交流を行われ、その1つの活動として読書会を行おうということで、地元の人たちや関係する人たちと耕読会を開始されたとの事である。

その後、岡田先生が京大に移られてからも、智頭の人たちとの交流は続き、 耕読会も京都を主な開催地として定期的に開催されている。その後、岡田先生の地域おこし活動に賛同される人たちや岡田先生のお弟子さん達が加わり、いまでは、東京、名古屋、四国などからも参加者が駆けつける会になっている。

今回は久しぶりにその発祥の地である智頭で、地域おこし活動を先頭に立って率いておられる寺谷さんの主催で、「出会い館」というその活動の拠点である建物で行われた。

実は鳥取県とは私は浅からぬ因縁がある。私の実家は姫路の近くであるが、小学校時代の2年間、父親の勤務の関係で鳥取県倉吉市に住んでいた事がある。そして祖父母の住んでいる実家と倉吉の間を夏休みや冬休みに何度も往復した事がある。

姫路から倉吉に行くには、まず姫路と岡山県津山市を結ぶ鉄道(当時は国鉄)である姫新線に乗る。そして津山で津山と鳥取を結んでいる因美線に乗り換える。さらに鳥取で山陰線に乗り換えて倉吉に行く訳である。

昭和30年代であり、乗り換えも含めてどの程度の時間がかかっていたのか定かにおぼえていないが、1日がかりの大旅行であった事は間違いない。しかも姫路は太平洋側(山陽)、鳥取日本海側(山陰)である。津山から鳥取に向かう因美線は太平洋側と日本海側を隔てている山陰山脈を越えることになる。

山陽側から国境のトンネルを越えて山陰側に出ると明らかに雰囲気が違う。冬であれば一挙に雪景色になる。川端康成の「雪国」の西日本版のような経験を何度もした事がある。そして列車は山陰側に出ると智頭などの町を通って鳥取にたどり着くわけである。別にこれまで智頭の町を訪れたことがある訳ではないが、小学校時代の経験から智頭の名前は私の記憶に刻み込まれている。

ところでこの倉吉・鳥取・津山・姫路のルートはちょうどZの形状をしている。倉吉・鳥取、津山・姫路が上下の二本棒で、鳥取・津山が斜めの線である。いわば津山から鳥取は少し逆戻りしている事になり、旅行としては非効率的である。ところがこれまで知らなかったのであるが、現在は智頭からまっすぐ南に下る第3セクター智頭急行が運営する智頭線と言う路線が通っている。逆戻りするという非効率性が除かれている訳である。

従って、現在京阪神から鳥取に行く特急列車はすべてこの智頭線を利用している。JRとしては従来通りの津山経由の方がすべて自社路線を利用してもらえるのであるが、時間を考えると明らかにこちらの方が有利なので、智頭急行と組んでいわばwin-winの関係を築いているのだろう。

さて京都も寒いが、智頭に着くとさすがに山陰側、雪がちらついている。寺谷さんが駅まで迎えに来てくださり出会い館に着くと、耕読会に参加の方々に加え地元の地域おこし活動に参加されている大勢の方々が集まっておられ、すぐに宴会が始まった。ボタン鍋、かに鍋などの地元の美味を味わいつつ出席の人たちと楽しい時間を過ごす事が出来た。


京都からの参加者3人の挨拶。右から、京大岡田先生、同土佐先生、そして私。


そしてその夜は出会い館に泊めて頂く事となった。皆さんに、シンガポールから来られたのでは寒いでしょう、風邪を引かないように注意してください、と同情して頂くが、やはり元々日本育ちであり山陰の湿気が多い寒さも経験しているので、まあ別にどうという事はない。

翌日は耕読会である。今回は私が昨年出版した「テクノロジーが変えるコミュニケーションの未来」をネタにしていろいろ議論をしようという訳である。の議論の内容を詳細に述べていると結局自己宣伝になるので、また別の機会にしたいが、皆さんよく読んでおられ非常に深くかつ鋭い質問をいくつも受けた。必死に応対しているうちにあっという間に2時間が過ぎてしまったというのが正直な感想である。


耕読会の様子。


そして、耕読会の後は餅つきである。もう都会では餅つきなどという風景に出会う事は滅多にないのではないだろうか。お正月の餅も買うのが普通だろう。しかし私の子供時代は正月が近づくとどの家でも個人個人もしくは近所と一緒に餅つきをしたものである。久しぶりに私も参加して餅をつかせてもらったが、さすがにすぐに息があがってしまった。


私が餅つきをしているところ。昔はかなりやったのであるが、現在はへっぴり腰。