シンガポール通信ー年末のパーティ

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

年末から正月にかけて帰国したが、あわただしいスケジュールをこなさなければならなかったので、ゆっくり休む事は出来なかった。駆け足で報告しておこう。

まず24日はクリスマスイブということで、私の大学(NUS)は半日休暇である。私の研究所でも仕事はお昼までということで、お昼にスタッフの人たちと一年ご苦労さんの意味で簡単なパーティを開きましょうということになった。

日本で言うと、仕事納めがあってその後正月休みに入るので、ほぼ同じような意味合いを持っているのだろう。ただシンガポールでは、クリスマス前に休暇を取る人たちと、クリスマスから正月にかけて休暇を取る人たちがほぼ半々なので、少々日本の仕事納めと意味合いが違うかもしれない。


研究所の管理部門のスタッフ達とのパーティ。私の左側は副所長のProf. Lawrence Won。ちょうど2週間の休暇から帰って来たところである。カナダのウィスラーに家族でスキーを楽しんで来たとの事で、皆に写真やビデオを見せながらご満悦であった。


シンガポールにおける長期休暇の取り方は、人にもよるが1週間程度が平均のようである。数日という人も多い。一方、日本人が取る休暇も長くなりつつあるようなので、日本との違いは少なくなりつつあるのではないだろうか。

研究者の中には全く休暇を取らない人たちも多い。この点も日本とよく似ているといえるかもしれない。数週間〜1ヶ月の休暇が当然のようなヨーロッパとは大きな違いである。

また、休暇中でもメールを定期的にチェックするのはほぼ習慣のようになっている。特にアジア系のマネージャークラスの大半の人はほぼ毎日メールをチェックしており、通常の勤務時と同様のコミュニケーションがとれる。このあたり、アジア人のまじめな面が出ている。

これは仕事の効率化の点からは喜ぶべき事なのかもしれないが、一方人々が常にコミュニケーションを取らなければという脅迫観念のようなものを持つようになったという意味では、ITの悪影響ということもできるだろう。

私自身も一日一度はメールをチェックする事にしており、その意味では休暇中といえど完全に仕事から解放されているという気分にはなれない。このような生活形態の未来はどのようになるのだろうか。

このような傾向に対して、危惧の念を表明する人は多いのであるが、私自身はかなり楽観的に考えている。それは一言で言えば、遊びと仕事の境界が曖昧になりつつあるという事ではなかろうか。

太古の昔は、仕事と遊びの間に明確な区別はなかったものと思われる。それに対し、西洋ではキリスト教、東洋では儒教が現れ、仕事を聖なるものとしてそれに従事する事が人間の行うべき事と定めた。そのため、遊びは仕事に対するいわば付け足しのような位置付けにされてしまったのではないだろうか。

このあたりは現在興味を持っているところで、またまとめて本にでも私用と考えているが、ともかくも、仕事と遊びの境界がなくなる方向へ社会が向かっている事は間違いないだろう。

私はその後24日夜の夜行便で日本に帰国し、その足で鳥取で行われた読書会に参加した。それについてはまた別の報告としたい。